─滋賀・両丹・京都南部の3地区 76教会・伝道所と地域の宣教のために

日本基督教団 京都教区ニュース

THE UNITED CHURCH OF CHRIST IN JAPAN - KYOTO DISTRICT

今総会期 第1号 発行 202495

 

発行人 今井牧夫 編集人 松下道成

602-0917 京都市上京区一条通室町西入東日野殿町394-2 京都教区事務所/Eメール infouccj-kyoto.com

TEL 075-451-3556FAX 075-451-0630/教区HP http://www.uccj-kyoto.com

 

 

教区 2024年度 新任教師の自己紹介

 

准允を受けて

近江兄弟社中高 徳田 恵美奈

 この度は、准允をいただきありがとうございます。5月に行われた総会での准允を受けるにあたり、様々な方に支えていただきました。谷香澄牧師をはじめ能登川教会の皆さま、神学部や母校の先生方、家族や友人、そして何よりイエスさまを通して神様のお導きがあったことに感謝いたします。

 私は、母校である近江兄弟社中学校・高校にて初めてキリスト教に触れました。家族は熱心な仏教徒であったため、小学生の頃まではキリスト教よりも仏教を学び、関わる機会が多くありました。ですが、母校に入学してから聖書の授業や礼拝の中で、聖書を通してイエスさまが与えてくださった言葉がすっと心の中に届いていくことが何度もありました。辛い時や悲しい時、挫けそうになった時は勿論、嬉しい時も常に指針となってイエスさまの言葉がありました。このような経験があったからこそ、私も聖書を通して生徒に伝道を志す者になりたいと思い、聖書科の教員を目指すようになりました。

 現在、4月から母校である近江兄弟社高校で聖書科の教員として与えられた職務を全うしています。生徒と関わる中で大切にしていることは、「寄り添う」ことです。ただ生徒の話を聞く、傾聴するだけではなく、ルカによる福音書102537節の「善いサマリア人」のように、様々な思いを抱えている人のために何ができるのかを考えて行動し、神様を愛し、人を愛することを胸に毎日を大切に過ごしていきたいと思います。

 

自己紹介

京都南部地区 京都復興教会 赤岩 英里香

 4月から京都復興教会の伝道師に着任しました、赤岩英里香と申します。どうぞよろしくお願いいたします。群馬県富岡市の出身です。母教会は、同志社大学と関係がある甘楽教会になります。私はクリスチャンホームに生まれたわけではありませんが、妹が甘楽教会付属甘楽幼稚園(現:甘楽こひつじこども園)に通っていたことが大きなきっかけとなり、小学生から教会に通うようになりました。そして大学1年生のクリスマスに洗礼を受けてクリスチャンになりました。大学を卒業してから約5年間病院で介護職員として働きました。働きながら再び献身の思いが与えられて、東京聖書学校に入学をしました。

 昨年神学生4年生だった時に夏期伝道実習で約2週間、京都復興教会でお世話になりました。卒業してから、もう一度戻ってくることができて、「本当に神様が導いてくださったのだ」と感じています。4月から神学生・信徒から伝道者になり、生活スタイルも変化しました。これからいよいよ伝道者としての生涯を歩んでいきます。私の献身の御言葉である「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ1215)の御言葉をいつでも忘れずに、大切にしていきます。京都復興教会には、其枝幼稚園があります。幼稚園に繋がっている教職員や子ども達、そして保護者や地域の方などが、教会を知り、イエス様・神様と出会っていくことができるように、伝道をしていきたいです。

 

夢の実現

両丹地区 丹波新生教会 マオホ・マライケ

 はじめまして。

 名前はマオホ・マライケです。EMSの一部であるヘッセン=ナッサウ福音主義教会から派遣されたドイツ人宣教師です。

 ドイツで9年間、プロテスタント神学を学び、その後2年間補教師として勤めました。私の人生の半分近くを日本に興味を持ち続けてきました。日本とその文化は、マンガやドキュメンタリーを通じて知ることができました。2度目の試験を終えた後、日本で1年間の特別なインターンシップの機会を得ました。

 補教師としての経験を通じて、教会の会員数が減少し、会員が高齢化していく現状を直接感じ取りました。非キリスト教文化であり、少数派としてキリスト教を経験する文化の違いについても考えさせられました。

 日本に来ることは私にとって「夢が叶った」経験でした。千葉の教会の信徒や丹波新生教会のメンバーは、心を開いて私を歓迎してくださいました。私が常に信じてきたことを実感しました。私たちは異なる国籍や言語を持ちながらも、クリスチャンとしての信仰で結ばれています。新しい経験に開かれている限りです。時にはコミュニケーションが困難な場面もありますが、私たちは心から心へ、信仰から信仰へと語りかける言葉を共有しています。この結びつきを育むために、神に感謝しています。聖霊を送ってくださり、お互いに学び合う助けとなってくださったことに。

 異なる信仰の形式やクリスチャンとしての生活を見ることで、私は謙虚であり、日本での経験に感謝しています。この美しい国での残りの時間を通じて、さらに学びを深めたいと思っています。

 

自分の重荷を担いながら、

互いに重荷を担いなさい

単立 左京キリスト教会 尹 相優

 左京キリスト教会の主任担任教師の尹と申します。東京で伝道師として3年間活動し、その後、単立教会に赴任することになり、毎週ヒヤヒヤしながら説教を準備しています。

 ここに来て何ができるのか、漠然とした気持ちで悩んでいましたが、多くの方々から「戻ってきて嬉しい」と言われ、非常に励まされました。また、私の悩みについて話を聞いてくださり、適切なアドバイスまでいただきました。その瞬間を意識するとガラテヤの信徒への手紙62節、「互いに重荷を担いなさい」が思い浮かんだりします。

 ところが、その後を読み続けると5節、「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」という箇所があります。この矛盾しているように見える箇所に私は戸惑いましたが、共通する「重荷」という言葉をギリシャ語辞書で調べてみました。すると、そこには同じ「重荷」の異なる単語がありました。2節は人間が永遠に背負わなければならない苦しみを表す、象徴的な意味の「重荷」で、5節は一人で背負うことができる目に見える荷物を指しています。聖書が同じ「重荷」という言葉を抽象的な意味と物理的な意味で使い分けていることに驚きました。

 大なり小なり自分の重荷を担いながら、いざという時には京都教区の皆さんのように重荷を共に担う、そのような一人前の教師になりたいです。今後ともよろしくお願いします。

 

自己紹介

京都南部地区 洛北教会 久保田 拓志

 大阪市内で生まれ育ち、20歳の時、教団の大阪教会で洗礼を受けました。大学での研修医を経て、精神科医として33年間、大阪の淡路にある淀川キリスト教病院で診療に従事し、20243月に退職しました。その間、病の背景にある生きる意味や目的の喪失感、強い孤独感や虚無感といった霊的苦悩を抱えておられる患者様たちと接してきました。そのような臨床現場で働きながら信仰生活を送る中で、霊的苦悩に対して癒しと生きる力を与えてくださる神様のみ言葉に、より直接的にお仕えしたいという願いが徐々に育まれていきました。また、職場がキリスト教病院であり、チャプレンの先生方との交流や日常的に言葉と祈りに触れる環境に身をおいてきたことも、私の思いを後押ししてくれたと思います。イエス様の十字架とご復活による罪の赦しの福音こそが、霊的な苦悩に希望をもたらし、人間の全人的な癒しを実現することを信じ、20164月より教団のCコース受験を志願しました。

 20184月より信徒伝道者となり、201812月に准允、そして、202111月に按手を受け、大阪教会の牧師に就任しました。20244月から洛北教会に就任し、今日に至っています。牧師になってから日も浅く、正規の神学教育を受けていないため、未経験で未熟な面も多々あると思います。教区の諸先生方とのお交わりをいただきながら、福音主義を掲げる洛北教会の牧師として、主のみわざにお仕えしたいと願っています。これから、どうぞよろしくお願いいたします。

 

主からの召命に答えて

同志社大学キリスト教文化センター 李 元重

 主の御名を賛美します。今年4月から同志社大学キリスト教文化センター准教授として着任しました。韓国ソウル市生まれ育ちで、大韓イエス教長老会(Presbyterian Church of Korea)で牧師按手を受けました。2008年度に同志社大学神学研究科に入学し、ほぼ同時に在日大韓基督教会京都東山伝道所(現:京都シオン教会)で伝道を始めました。20117月から大韓イエス教長老会から正式に日本宣教師として派遣されたものとなりました。在日大韓基督教会関西地方会に所属し、長い間京都教区の皆さんには大変お世話になっておりました。京都東山伝道所は教会に昇格し、わたしが神学研究科を修了してから、わたしは主な働きの場を、教会から大学の方に移りました。同志社大学に着任する前は、群馬県高崎市所在の新島学園短期大学で、学生たちにキリスト教を教えながら、関東教区群馬地区の皆さんと豊かな交わりを持っていました。

 取るに足らない者ではありますが、わたしに同志社大学においてキリスト教主義教育を担う機会を与えてくださったのは主であると信じております。教会も大学も社会の変化によって大きな課題に直面している重要な時期ですが、今も生きておられる主が京都教区の皆さんと共に仕えるように導いてくださったので、必要な知恵と力をわたしたちに与えてくださると信じます。主に祈りながら、教育と研究、教会との協力に尽力したいと思います。よろしくお願いいたします。

 

日本基督教団安土教会

牧師就任にあたりまして。

滋賀地区 安土教会 森喜 啓一

 本年4月より、安土教会に主任担任教師として仕えさせていただいます。

 714日には、今井牧夫日本基督教団京都教区議長の司式により牧師就任式をして頂きました。12教会から31名の牧師や信徒の方々がご出席くださり、たくさんの励ましと祝福と祈りをいただけたことには感謝の言葉もありません。ほんとにありがとうございました。

 安土教会は、献堂以来、112年の歴史の中で福音宣教の道をひたすら歩んでまいりました。教会に残された様々な写真や文集なでの記録からは、そして広々とした明るい礼拝堂からは、多くの人々絵を導かれた先達の先生方の血の滲むような宣教努力の成果を窺い知ることができます。その伝統は、信徒数は10名ほどに減ってしまいましたが、その伝統を受け継ぎ地道に信仰の道を歩む信徒の方々によって守られています。昨年の1年間経験した無牧の時代も、恵深き主の光に照らされつつ乗り切り、今年より新しい出発を果たすことができました。ルカによる福音書第1232節には「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」と記されています。

 私たち安土教会は、この恵深い御言葉を胸に、共に手を取り合って信仰の道を歩んでいきたいと願っています。


 

―能登半島地震の被災地を訪ねて―

輪島・七尾・羽咋教会・富来伝道所を訪問

災害対策小委員長 京都南部地区 京北教会 今井 牧夫

 202475日(金)、能登半島地震の被災地である輪島教会と七尾教会を、ギタリスト谷本正夫さんの問安に同行する形での、京都教区からの派遣として横田明典副議長(近江金田教会)と共に訪問し、京都教区からの見舞金をお渡ししてきました。

 金沢から輪島への海辺の道は地震で激しく破損した箇所をいくつも見ました。そして昼過ぎに輪島教会で新藤豪牧師とお会いしました。同牧師はこの訪問をとても喜んで下さいました。輪島教会は地震で全壊し、駐車場に教団が建てた仮設礼拝堂は10数名が限界で、毎週7名程度で礼拝。元旦の震災以降も避難所数名日曜礼拝を始めて以降、礼拝の休止は一度もないとのこと。

 新藤牧師は、今年元日の地震の直後、すぐに足の不自由な教会員のお宅を訪ね、次の教会員の家へと向かうときに、道で人から「津波が来るからすぐ逃げろ」と言われて、いったんそうした後、津波がこないことを確認してから、また教会員の安否確認に出向いた。その日の夜、輪島朝市通り周辺が火事で燃えさかる様子が避難所の窓から見えて、避難所にも火が来るのかと皆で心配したが助かった。新藤牧師は、元日からずっと避難所生活をされ、現在は「軽い半壊」とされた牧師館に戻って生活しているが、屋外の水道をホースで屋内に引く状態でトイレなどの不便もあり、避難所と自転車で往復する生活。それでも震災発生以降、教区の教師会出席と京都の身内の所に行く以外は、ほぼ輪島を離れることがない、ご自身として輪島を離れる必要を感じないとのこと。そのように新藤牧師が、大変な生活なのに明るく率直に話して下さることに、深い感謝を覚えました。

 その後、輪島朝市通りを含め、焼け野原になった全域や海辺まで町を歩いて様々な説明を聞きました。避難所、仮設住宅、被災した自宅に住む方など、住民の多様な生活事情をお聞きしました。

 最後にわたしがお祈りをさせていただいた後、七尾教会へ向かいました。事前連絡せず訪ねましたが、同教会の釜土達雄牧師・蘭子夫妻はこの訪問をすぐに受け止めて歓迎して下さり、感謝に堪えません。

 2006年能登地震被災で建て替えた礼拝堂と連結する幼稚園舎の各所に今回震災での破損があり、子どもたち、ご家庭の様子も含めてご夫妻からお話をいただきました。また、釜土牧師と共に町中を歩いて説明を受けました。この店はもう人がいない。この店は再建中。ここは……と幼稚園長として地域の人たちとの密な関係に基づいて詳しく説明して下さりました。教会の長老が地域のボランティアセンターで奉仕していることもお聞きしました。「京都教区のわたしたちが何かできることがあるでしょうか?」と尋ねると、釜土牧師がすかさず、教会玄関の掲示板に貼られた様々な教会の祈りのハガキや手紙類を指さして、「こういうのがいいですよ! 教会の皆さんは案外、つぶさに読んでいます。忘れられていないと思えることが大事なのです。」そして、現地の負担になるから外から現地に入るな、という行政などの発信は、最初の時点ではわかるが、結果として現地に来る人が少なくなってしまったので、もっと現地に来て現実を見てほしい、とも言われました。

 その後も私の夏期休暇時、825日(日)羽咋教会の朝拝、富来伝道所の夕拝に出席し、京都教区からの見舞金をお渡ししました。京都教区は長期的に能登半島地震救援募金を継続します。各教会・伝道所など皆様にご協力を願いします。

 

輪島教会の仮設礼拝堂。

向かって左から横田、新藤、今井。


 

教区「三役訪問」に行きました!

教区書記 京都南部地区 洛陽教会 松下 道成

 72324日、教区三役が毎年一回、京都市からの遠隔地に問安する「三役訪問」に行きました。簡単に印象と感想を記します。ご協力いただいた各教会・施設の皆様に感謝申し上げます。

 

1 北丹峰山教会

 コロナ禍で礼拝休止が続く中、その再開に祈りを合わせる両丹地区関係者の訪問の席に加えていただきました。櫛田さん夫妻が出迎えて下さりました。北丹峰山教会元々家庭集会で、そして病院2階で礼拝を守ってきました。その場が現在のゆうかり乳児保育所です。教会の歴史を詳細にうかがう中で、医療や福祉と共に歩む教会として「信仰とは、現場で証されていくべきことだ」という意識があると同時に、「初めに言があった」(ヨハネ11)ことの大切さ、重要さを忘れることはないとご夫妻は語られました。両丹地区の支えにより、保育所2階で9月から礼拝再開の予定となりました。その歩みに神様の大いなる恵みと導きを祈ります。

 

2 丹後宮津教会

 信徒の坂根さん、達さん夫妻に出迎えていただきました。礼拝堂正面十字架と、集会室の机を飾る、丹後ちりめんの見事な美しい織物の装飾に目を奪われます。明るく大きな礼拝堂の宮津教会は、創立133年を数え、戦時中には礼拝出席が減る中で朝鮮半島出身の方々と一緒に礼拝を守った歴史もあります。いわば歴史や民族の多様性の中で主の福音を証しして歩んできた教会です。近年は、オープン・チャーチとして小礼拝と演奏会を地域に向けて開催したり、教会でのバーベキュー、ハンドベル練習、地域の子育て支援事業に教会が場所を提供するなど、様々な工夫をしながら前向きに教会活動を続ける皆様の様子が伝わってきました。神様は、宮津教会をこの地における神の御業の働き手として豊かに用いて下さっています。

 

3 東舞鶴教会

 山下瑞音牧師(園長)が、1935年創立の教会朝日幼稚園含めて紹介してくれました。幼稚園経営の大変な状況もありましたが、現在では認定こども園として子どもたちが増えつつあり、SNSの発信にも幼稚園の活発な行事などの様子が載っていて、素敵な園の熱意ある働きを知ることが出来ます。山下牧師いわく、「作ることのできるものはすべて自分で作りました」と、教会や幼稚園の照明や備品などにつき、素敵に手作りや改良がされています。教会の集会室は中学生が集まる場としても開かれていて、教会と子どもたちへの山下牧師の深い思いを強く感じました。幼稚園運営、建物改築、両丹地区長としての活動など、様々な重責を担われる山下牧師と教会に、主はその働きを必ず豊かに実らせて下さると思いました。

 

4 長浜教会

 井上正道牧師が出迎えてくださいました。教会建物内はとても素敵で、特に礼拝堂をガラス越しに見られる集会室は、平日にも、勉強したり本を読んだり、食事をするのにとてもいいと思います。創立139年の歴史ある教会には、滋賀県の太政官布告、切支丹(キリシタン)禁制の立て札や、宣教のために用いられた教会用のはっぴなどがあります。教会は高齢化や経済的にも困難を覚え、さらに病気のために教会に来られなくなった方々もいます。しかし、「教会の交わりを深め、一人ひとりの居心地をよくしたい」と言われる牧師の優しい笑顔と、長い歴史とモダンさを併せ持つ教会の雰囲気があいまって、安らぎの空間と時間を与えてくれます。「だいじょうぶ」とイエス様の優しい励ましを、受けたように思いました。

 

5 彦根教会

 彦根教会は、文化的町並み彦根城下町(大正時代の景観を再現した観光地区「水と音と祈りの街」)にあり、創立1879年、145年の歴史を数えます。滋賀県最古のプロテスタント教会として、ノゾミ保育園と共に地域に根を下ろしています。礼拝堂も保育園の園舎も、地域の歴史を感じる美しい建物です。地域と共に歩んできた歴史通り、教会の入り口は開かれており、誰でも祈りのために立ち寄ることができます。忙しい中、温かく迎えて下さった森岡高康牧師は、熱意に満ちた、誠実な方である印象を受けました。保育園長でもある日々のお働きは多岐にわたりご多忙にしておられますが、子どもたちの存在をいつも感じられる喜びの中、精一杯働きをなしておられる様子が伝わってきました。森岡牧師、教会、保育園それぞれに主の守りと導きをお祈り申し上げます。

 

6 能登川教会

 教会員の成瀬さん、大槻さん、松井さんが出迎えてくださり、丁寧に教会を紹介してくれました。もともと地域の人たちが教会を求め、薬局だった場所を礼拝堂として1938年から86年の歴史を数える教会で、地域の青年活動の拠点でもあったとのこと。現在は止揚学園関係者が多く出席していますが、施設のための教会でなく地域一般に開かれた教会です。現在の教会堂は2階に礼拝堂があるため、身体的な移動の難しさから礼拝に来られない人のために、出来るだけ早く新しい教会を建てたいと願われ、そのために会堂新築計画を進めて実現まであと少しまで来られました。計画では来年1月に現在の建物の取り壊し、8月までに新しい会堂完成を予定されています。新しい建物は、みんなで一緒に食べて一緒に過ごせる、笑顔と喜びがあふれる礼拝堂が中心です。新会堂建築に、京都教区の皆様の祈りと支えをよろしくお願い申し上げます。

 

7 止揚学園

 福井生園長ご夫妻はじめ職員皆様が出迎えてくれました。お話を聞き、施設内を案内してもらいました。ある方が「ここは別世界ですよ」と言うと、生さんは、「ある仲間は、気になることがあるとブブブと言い始める。食事はみんなが『ごちそうさま』を言わないと終われないが、他の仲間は、その方が『ごちそうさま』を言うのを一緒に待っている。こんなことは一般の世界ではありえない。でも、それが普通である社会になればと願います」と語ってくれました。私はきっと「別世界」とは「新しい命の力を与える所」だと思わされました。今、止揚学園で、「地の塩プロジェクト」として、同志社大学の多くの学生が実習をしています。


 

19回「性差別問題連絡会 全国会議in九州」報告

性差別問題特設委員会・委員長 教区巡回教師 堀江 有里

 「日本基督教団性差別問題連絡会」の全国会議が2024624日(月)~25日(火)に九州キリスト教会館(福岡)で開催されました。全国から部分参加も含めて58名。京都教区からは今井牧夫さん(自主参加)、委員会派遣で谷口ひとみさん(性差別問題特設委員会)、横田明典さん(セクシュアル・ハラスメント小委員会)、堀江の4名が参加しました。テーマは「20年をふり返るわたしたちは何を問い、何をめざすのか」。3名の発題をきき、話し合いました。20年とは、1988年に教団で設置された性差別問題特別委員会が2002年に継続議案が出されずに「消滅」し、再設置を求めるもなお否決され、有志団体「日本基督教団性差別問題連絡会」(2005年)として発足後の期間です。

 まず、谷口ひとみさんが教団委員会設置から「消滅」までに取り組まれてきた課題の概要を紹介されました。戦後補償を求める5委員会連絡会(後に6委員会連絡会)、同性愛者差別事件(1998年)、セクシュアル・ハラスメント訴訟(2001年)などです。とくに教会における性差別として「処女マリア」問題が取り上げられました。イエスの母マリアは歴史の途上で「処女」性が祭り上げられ、性差別の構造のなかで教義が生み出されました。使徒信条にも「処女マリア」が登場しますが、このような性差別の構造的な問題そのものに切り込み、問い直していくことが必要ではないかと確認されました。

 次に日下部遣志(九州教区議長)さんがセクシュアル・ハラスメント事件の取り組みの報告を行いました。教区内の教会で事件が起き、当初は問題の所在を認識できず、出身神学校や牧師仲間たちも動くことができず、でしたが、教区をあげての取り組みは進められていきます。実際の調査をおこない、「議長声明」(2001年)や「教区声明」(2002年)発行。さらにはブックレット、相談窓口設置、ガイドライン策定、各地区での取り組みや年一回の公開研修会の実施など。いくつかの貴重な資料とともに具体的に人びとが動いていった様子が報告されました。

 最後に多田なおみさん(福岡女学院教会)は教会や地区での働きからの報告でした。さまざまな取り組みが進められる一方、牧師のところで教区の案内が止まっているケースも多い。また教会は「神の家族」の名のもとに男性牧師を大黒柱として掃除や食事作りを女性が担当、さらに理想の子どもたちという位置づけをしていないか。この構造はハラスメントを温存する装置にもなっているのではないか。構成員が変わっても具体的に習慣が変化しない教会の現状がいくつかの実例とともに紹介されました。

 九州教区ではセクシュアル・ハラスメント問題特設委員会や伝道センター平和・人権部門などいくつもの委員会や地区を超えて実行委員会が結成されました。会議のために献金を集め、自主参加者への交通費補助も賄った上で黒字とのこと。奄美地区も含めて広い範囲の九州教区。無牧師・兼牧の教会が多いと聞きます。今回は「教区連帯」について強く考えさせられました。各個教会での限界を超えたつながりのなかで問題解決を模索する積み重ねを九州教区では継続されてきたこと。京都教区も学ぶ必要が大いにありそうです。

 全国会議と総会の終了後は「第12回セクシュアル・ハラスメントに関する協議会」が休憩を挟んで開催されました。

 

(↑実行委員・深佐和美紀さん手書きのバナー)


 

12回「セクシュアル・ハラスメントに関する協議会」報告

セクシュアル・ハラスメント問題小委員会 滋賀地区 近江金田教会 横田 明典

 「日本基督教団(有志)セクシュアル・ハラスメント問題全国ネットワーク協議会」第12回協議会が、625日(火)九州キリスト教会館で「相談窓口に寄せられる事例の検討」をテーマに開催され、参加してきました。各教区から参加者26名でした。

 各教区では、ハラスメント相談窓口を置く所もありますが、京都教区は従来より設置の是非を小委員会で検討した中で、現在の教区の委員会の位置付けや委員の力量から窓口設置は難しいと判断しています。

 セクシュアル・ハラスメントに関する相談は、繊細な案件が多く、裁判になる場合もあります。したがって相談員となる委員が適切な研修を受けたり、それをサポートできる体制を整えなければ、責任をもって対応ができず、かえって問題を大きくしてしまうことも考えられます。ある程度の経験や研鑽を積んだ委員が複数名以上加わることがあれば、窓口設置も具体性が増しますが、現在の状態ではそこまでできる状況にない、という判断です。

 今回、他教区の事例について学びました。近年ではネットやSNSの情報も飛び交う中、求められる対応が従来よりも複雑になり、まだまだ窓口設置への道のりは長いことを思わされました。ただ、1教区内だけで解決が難しい場合、他教区の方にも相談できるネットワークがあることは、心強いとも感じました。

 京都教区では、この問題の独自のパンフレットを作成し配布するなど、教会に啓発活動をしていますが、それでハラスメントが無くなるわけではありません。ハラスメント問題に敏感な近年の社会の中で、様々な理由によって、教会は特に対策が遅れているのではないかとの指摘を受けています。各伝道所・教会において、セクシュアル・ハラスメント問題は決して他人ごとではないと自覚し、あらゆるハラスメントが起こらない環境を整えていければ、と思っています。

 

 

京都教区定期総会2024報告

京都教区総会議長 京都南部地区 京北教会 今井 牧夫

1 コロナ禍を超えて  51718日に2024年度京都教区定期総会を京都丸太町教会で開催しました。コロナ禍以来休止してきた開会礼拝、昼食、逝去者名簿朗読を5年ぶりに行い、教区総会の形をコロナ禍以前に近く回復しました。

2 議事全般  議長報告・常置委員会報告では、様々な質疑を行いました。世界の戦争、教区の教勢低下、各個教会の財政難などで意見交換しました。教区総会の採決時に「棄権」ができるよう検討願うとの要望があり、常置委員会での検討を議長が約束しました。前年度剰余金処理の議案では、大部分(250万円)を「負担金軽減措置金」に決定。2024年度経常予算では、教区の各部・委員会・地区経費を一律15%削減して経常予算全体を5%減とした上で、上記「負担金軽減措置金」を用いて、大幅な各個教会の負担金削減を可決しました。

3 二つの協議会  協議会1「教団財政削減の展望」では、教団三役の黒田若雄書記を陪席者に招き、教団財政を議論しました。協議会2「コロナ禍の痛みを超えて~教会・教区の財政の今後」では、小笠原純さん(平安)・冨増献兒さん(西小倉めぐみ)から、発題を受けて様々に話合いました。

4 准允式  2名准允式を実施。別頁に紹介文。

5 建 議  声明2点を可決。別頁に掲載。

6 教団総会議員選挙

 教団総会(1029日(火)~31日(木)於東京池袋ホテル・メトロポリタン)の議員選挙結果。

〈信徒議員10名〉

谷村耕太(水口)   谷本聰子(今津)

上田泰正(京都)   志賀 勉(紫野)

原田 潔(大津東)  永島鉄雄(草津)

上田佳子(大津)   澤田香織(京都葵)

井上 直(洛北)   吉田一穂(室町)

〈教師議員10名〉

横田明典(近江金田) 今井牧夫(京北)

小笠原 純(平安)  浅野献一(室町)

入 治彦(京都)   松下道成(洛陽)

平山正道(大津)   井上勇一(洛南)

鳥井新平(近江平安) 新井 純(世光)

 

京都教区総会2024の声明2

(議案18号声明)

 「入管法・技能実習法改定」関連法案の廃案を強く求め、外国人も日本人も安心して「共に生きる世界」を希求する声明

 「入管法・技能実習法」関連改定法案(「出入国管理及び難民認定法及び外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律の一部を改正する法律案」、「出入国管理及び難民認定法等の一部を改正する法律案」:以下、「改定法案」)が、現在、衆議院本会議で審議されている。

 わたしたちは、この「改定法案」に対して、下記の問題点に基づいて強く反対し、国会に対して怒りをもって廃案を求める。

 これらの「改定法案」には、すべての外国籍住民の立場を著しく不安定にし、人権保障上、重大な疑義がある「永住許可取消し」が含まれており、断じて認めることができない。

 「入管法」のあからさまな差別規定である「義務規定」(在留カードの「常時携帯義務」など)が守られない場合「永住許可」を取り消すと、「改定法案」で規定していること自体、「永住者」への差別そのものであり、日本で生活をする永住者とその家族、また外国人住民全体をも不安と絶望におとしいれるものである。また税金や社会保険料の滞納や退去強制事由に該当しない軽微な法令違反に対しては、日本国籍者に対するのと同様に、法律に従って督促、差押、行政罰や刑事罰などのペナルティーを科せば足りることであり、「永住許可取消し」という生活・生の基盤そのものを奪う重大な不利益を外国籍住民にもたらすことは差別であり、断じてそのようなことはあってはならない。

 また「改定法案」では、深刻な人権侵害と差別と暴力を引き起こした「技能実習制度」の基本構造である「監理団体」の仲立ちが残されており、新制度「育成就労」が、不当な労働・経済搾取がされない国際人権基準にもとづく受け入れ制度となるとは到底思えない。外国人労働者は、「人材」という「材」でも、低賃金で働く非人間化された「労働力」などでもなく、一人ひとりの人間であり、その所で生きている生活者である。以上のような不十分で、問題ある「技能実習制度」の焼き直しではなく、新しい「制度及び特定技能制度」が、借金の上に成り立つ労働(債務労働、強制労働)を排除し、まことの転職の自由などの労働者の権利と労使対等の原則が担保された人権保障に適う制度となることを強く希望する。

 そして在留カード及び特別永住者証明書が、マイナンバーカードと一体化(以下、「特定在留カード」)することにも強く反対する。その「特定在留カード」を万一紛失した場合、個人情報漏洩につながる可能性がある上、そのカードには、在留に関わる多くの情報(在留カード番号、在留資格、国籍等々)が記され、その情報が不必要に相手に伝わり、在留外国人への差別を助長することが憂慮される。「保険証とマイナンバーカードの一体化」を強行する現政権のあり方をみれば、いずれ在留カードと特別永住者証明書のマイナンバーカードとの一体化は事実上の強制となることが大いに懸念される。

 昨年、訴えた「難民保護法制」の整備、「入管法義務規定」の差別的「義務規定」の廃止、「人種差別撤廃法」、国内人権機関の設立などの国際基準の人道的法整備、債務労働が排除された人権保障に適う新しい外国人就労制度をこそ、わたしたちは求める。

 わたしたちの求める世界は、誰も差別されず、排除されず、虐げられず、他から搾取されない社会。一人ひとりのいのちや生活が脅かされず、尊厳が尊重され、権利が正当に守られる日本社会。外国人も日本人も安心して生き、働ける、くらし保障された「共に生きる世界」を主イエス・キリストにあって、多くの市民との連帯のもとでわたしたちは強く求める。

2024518日 第88回(合同後第58回)

日本基督教団 京都教区 定期総会

 

(議案19号声明)

 憲法の「平和主義」を蔑ろにし、雪崩を打って「米軍との一体化」、「軍隊化」に向かっている自衛隊のあり方に反対し、米国と「共に」戦争へと突き進む岸田政権に強く抗議する声明

 わたしたちは、憲法の「平和主義」を蔑ろにし、米国と「共に」戦争へと突き進む岸田政権に強く抗議を表明する。

 一昨年、閣議決定で国会の議を経ることなく「安全保障関連3文書」(「国家安全保障戦略(NSS)」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」)を改定し、軍備の財源確保、また軍事産業支援の「防衛力強化2法案」(「防衛財源確保法案」、「防衛生産基盤強化法案」)を成立させたことに、改めて反対を表明する。

 また「防衛装備移転(武器輸出)三原則」(以下、「武器輸出三原則」)の運用方針が202312月に改定され、多くの武器のライセンス元への輸出を可能とした。20243月にも「武器輸出三原則」が改定され、紛争を助長する殺傷兵器の「戦闘機」の輸出を国会抜きで再び可能にした。これら武器の輸出は、従来の政府解釈でも考えられない憲法の逸脱であり、到底許されない。よって今国会で承認されようとしている次期戦闘機のための政府間機関「GIGO」設立に関する条約も、到底認められない。

 自衛隊を巡る状況に強い憂いを抱いている。

 米軍と指揮・統制枠組みをそろえ、武力行使の力を大きくするための自衛隊「統合作戦司令部」創出のための「防衛省設置法などの改正法案」が可決、成立したことに強く反対する。

 岸田文雄首相が米国議会で「日本は共にある」と演説し、日本を際限のない米国の安全保障のための「グローバルな」戦争協力へと導いたことにも、強く抗議する。

 自衛隊の考えられない不祥事―それは、昨年来の靖国神社への自衛隊員の度重なる集団参拝や先の十五年戦争を侵略戦争、帝国主義、植民地支配を肯定する「大東亜戦争」と投稿するなど。これらは共に岸田政権が憲法を踏みにじりながら、勇ましく推し進めている自衛隊の「米軍一体化」、「軍隊化」している流れを受けていること、また戦前の旧日本軍の統治の姿に憧れ、国家神道、また天皇崇拝を軸とする帝国主義、植民地主義の復活、戦前への回帰を望んでいることに他ならない。

 日本基督教団が、十五年戦争の戦時下において国と共に戦争を遂行した過ちと罪責を深く顧みるがゆえに、現岸田政権の推し進めている安全保障関連のすべてに反対の意を表明する。

 まことに今必要なのは、粘り強い外交・話し合いによる戦争回避であり、一人ひとりの「いのち」と尊厳が守られることである。まことの平和は、銃を突きつけあって、脅しあうこと、また殺し合うことによってはもたらされない。

 「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ書24節)

 日本基督教団京都教区総会は、武器、武力を放棄して、「いのち」の側に立つ主イエスに従うがゆえに、米国と「共にある」岸田政権の歩みに強く抗議し、また、まことの平和を希求する市民一人ひとりと連帯する。

2024518日 第88回(合同後第58回)

日本基督教団 京都教区 定期総会


 

教区総会雑感

滋賀地区 近江平安教会 鳥井 新平

 2024517日(金)~18日(土)、京都丸太町教会を会場として京都教区総会が行われた。逝去者を覚えて祈り、新たに牧会者として立てられた方々の准允も行なわれ、必要な審議が重ねられた充実した2日間であった。1日目の協議会も含め、少子高齢化にともなう教勢低下、財政危機をテーマとした話し合いも大変重要なものであった。この2日間の総会をふりかえって、特に印象に残ったことの個人的感想を記す。

 まず、会場に入って目に飛び込んで来たのは、京都南部地区青年部が実施している「教会ツアー」の成果の壁新聞である。これまで訪問した教会の記録、その印象が茶色い大きな模造紙にカラフルなマジックで参加者が思い思いに感想を書き込んでいる。初めて教会に足を踏み入れた人、自分の教会との違いを色々と感じている人の息吹が感じられる壁新聞だった。昼食時間に青年部の佐々木さんが挨拶にたってお話されたことは、これからの教会の可能性を感じさせるものとなった。また議場では、教区の財政や負担金について、真剣な本音の議論が交わされた。

「ここまで財政が厳しくなっている時には、市民運動や政治的活動はひかえて教区は事務的なことに徹してほしい」旨の発言が出されていたが、私これ大きな誘惑の言葉だと感じた。京都教区が歴史的課題を地域の中で、人々とともに担ってきた取り組みを無に帰することはできない。今井議長が、1日目准允式の礼拝説教で語られたことで、イエスがペテロを「岩」とあだ名で呼んだように、教会の権威が親しみの日常の中で位置づけられている、との指摘に励ましを与えられた。「日常の中で」教会の働きを問う姿勢は極めて重要だ。その意味で浅野議員が建議案として提出して承認された2つの教区声明文(前頁に掲載)は貴重だ。2日間を通して、「金がない。金がない。これから、さあどうする」という嘆きが通底音のように響き続けていたが、総会を終えて、教会に帰り、友と語らっている時に、私の脳内には、植木等の「黙って俺についてこい」の歌(1964年)がヘビーローテーションとして鳴り響き続けていた。

♪ 金のない奴は、俺んとこへこい。俺もないけど心配するな。みろよ青い空白い雲 そのうちなんとか、なるだろう。・・・・・どこまでもイエスについて行こう!!

 

 

編集後記

 キャンプに参加した牧師の子(pk)の高校生は、自分以外に子どものいない子どもの礼拝(CS)で、「『何回、平和、平和って言うんや』と心の中で、父親に突っ込みながら、もんもんとしていた」と教えてくれた。人は皮肉にも、「暴力」はダイナミック能動的に捉えるのに、「平和」はスタティック静動的でつまらないと思っている。そうではなくて、もっと平和をダイナミックに、わくわくするような、そしてそのプロセスこそ(何回でも、それでも「暴力」ではなく、「平和」と言うこと)が、実は平和そのものなのだと気づかされる。(MM