─滋賀・両丹・京都南部の3地区 76教会・伝道所と地域の“宣教”のために─
日本基督教団 京都教区ニュース
THE UNITED CHURCH OF CHRIST IN JAPAN - KYOTO DISTRICT
今総会期 第1号 発行 2022年8月29日
発行人 今井牧夫 編集人 内山友也
〒602-0917 京都市上京区一条通室町西入東日野殿町394-2 京都教区事務所/Eメール info@uccj-kyoto.com
TEL 075-451-3556/FAX 075-451-0630/教区HP http://www.uccj-kyoto.com
京都教区センター伝道所をよろしくお願いいたします
新伝道所・新任教師紹介 京都南部地区 大住世光教会・泉伝道所・京都教区センター伝道所 岸本 兵一
「イエスは、クリスチャンではなかった」。「イエスは、いかなる型にもあてはまらない」。庵のような牧師館に、ミカン箱を机にして貪り読んだ翻訳本の目次が、ふと、思い起こされる時がある。遠い記憶だが、それらの書籍は、未熟な牧会や下手な説教を、『それで、いいのだ』と弁護してくれた。『いかなる型にも』は、『ノー・フォーミュラ』の訳である。なぜか、イエスが、F1のドライバーとなってサーキットを爆走しているイメージが湧いた。そのレースは、ドライバーと車輪がむき出しになっているマシーンで走行することを規格(フォーミュラ)とする。規格外が規格なのである。
2020年度京都教区第4回常置委員会において、教区センター伝道所の宣教姿勢文案の文言『ゆるさ』の意味が問われ、運営小委員会は、『規制の教会像に制約されない柔軟性や、社会的少数者を排除せず共に歩む姿勢を示す』と回答した。
教区センター伝道所、あるいはセンター教会(愛称)は、センターの名を冠してはいるが、諧謔を感じて頂きたい。この教会は、『センター教会さん』と、気安く『さん付け』で呼ばれるような活動を目指したい。柔軟な発想による『信徒と牧師の共同牧会』を軸とする宣教課題に取り組みたいと願っている。
―――「センター教会って、円を描くコンパスの針の先ちゅうことかいな」。「ちゃいまっせ。この伝道所は、あなたの教会がセンターやちゅうことを言いたい。もっと言うと、あなたの人生が、この世の隅っこにあっては、ならんちゅうことを言いたいのや」。
「なるほど、キシモトさんらしい言いようやな」。―――開所式の説教より
自己紹介を求められているが、『ウクレレとお菓子作りをこよなく愛する牧師』に留めさせて頂きたい。ウクレレは不思議な楽器である。短調と長調を4本の弦に圧縮している。お菓子作りの面白さは、水と油を分離せずに混ぜ合わせることに尽きる。センター教会のぼんやりした輪郭を感じて頂ければ幸いである。
よろしくお引き回しのほど、お願いいたします。
某高校の聖書科課題作品
准允・按手を受けた教師の所信表明
按手を受けて
滋賀地区 石山教会 須賀 舞
主イエス・キリストの父なる神様の不思議なお導きにより、先日の京都教区総会で按手を受けました。ここに至るまで神学校を経ないCコースでの教師検定試験の受験を育児と両立しながら5年余りかけて過ごしてきました。時には心が挫けそうになることもありました。家族に迷惑をかけてしまうこともありました。しかし、いつもどんな時も頑張ってこられたのは、この道が自分の使命感から歩んでいるのではなく、神様のご計画によって導かれていると確信していたからです。
神様は、この拙い僕に過ぎない私を、生まれる前から選び分け愛し育んでくださいました。主イエス・キリストの十字架の元へと引き寄せてくださり、主イエス・キリストを信じる信仰を与えてくださいました。自分を主とするのではなく、主イエス・キリストに結ばれて神様の子どもとして生かされる喜びを教えてくださいました。死んで滅びゆく命ではなく、新しい永遠の命を与えられました。この新しい命を主のご栄光のために用いてお返ししてゆきたいです。
「イエス様はやさしいお方」「イエス様はみんなのこと大好きなんだよ」最近、上の娘が聖書を読んで色々自分なりに分かったことを教えてくれます。悩んだ時、苦しい時は、子どものような素直な心に戻ってイエス様に従ってゆきたいです。そしてイエス様がお命じになった通りに、全世界の人々にイエス様の良い知らせを伝える働きをしてゆきたいと願っています。
伝道の准允を受けて
京都南部地区 京都教会 大林 叡貴
今年度より、京都教会の担任教師となりました、大林と申します。
私は、今年の補教師試験に合格し、京都教会に招聘され、教区の定期総会にて行われた式で准允を受けました。このことについて、教区や教会の皆様、そして何よりも神様に感謝をいたします。
私は、全盲の教師です。実は私は、キリスト教に出会ってわりとすぐに、牧師になろうと思ったのです。ヨハネの福音書第9章に出会ったことがきっかけで、その時には、自分が全盲であることの理由は、同福音書の9章3節でイエス様が言われている通りだと考えたわけでした。そして、この言葉を伝えようと思ったのは、ローマの信徒への手紙第12章の説教を聞いてからのことでした。そこで、イエス様のおっしゃる神の業とは、自分にとっては伝道の業であること、それが神様から与えられたミッションであることを確信したというわけです。
特に、ヨハネ9章2節のような疑問をいまだに持っている人に対して伝えることが、イエス様に倣う伝道の仕方であると、私は考えます。そう考えるのは、ヨハネ9章11節に「わたしがその人です」とあること、すなわちイエス様に目が見えるようにしてもらった人が、周りの人に伝えていることによります。
私は、教区内外の何人かの視覚障害をお持ちの牧師のお名前をお聞きしたことがあり、そのうちのお一人とは電話で直接お話をさせていただいたことがあります。しかし、私を含めレアなケースだと思います。そこで、私にしか伝えられないことを、多くの人に伝えることが、ミッションとして与えられたのだと思うのです。
すでにいくつかの教会に説教者として呼んでいただきましたが、今後も多くの方に伝えることを続けてまいります。
准允を受ける私なりの意義
京都南部地区 京都丸太町教会 平田 康弘
この度は准允をいただき感謝です。
以前私は福祉職に就いたことがあります。でも、福祉につながれる人は限られているのでは、福祉制度が整備されても見出されない人たちがいるのでは、と感じました。同様に、信仰生活を始めたにもかかわらず、教会に裁かれ、はじき出され、相談できないまま泣き寝入る方々に遭遇してきました。
ルカ15章4節以降に、99匹と1匹の羊の話がでてきます。この箇所は、パリサイ派の人たちを「義人」だとし、99匹を「多数派の自分は正しい」と思い込んでいるユダヤ人を暗に非難しようとされるイエス様の話です。普通、はぐれた1匹を信徒一人ひとりだとし、主人であるイエス様が探して下さると読めます。しかし視点を変えてみると、99匹の正しいとされる人たちが、1匹の、罪を犯しているとして裁かれる羊を追い出しているように読めませんか? つまり、この世の中、多数派であることは正しいことだと思っている人たちを中心に問題が起こっているのではないか、彼らが少数者である1匹を追い出しているのでは? 病んでいる相手になかなか近づけないのか近づかないのか、だから、まず役所に来てください、連絡してください、と言われることを聞きます。でも、自分からアクセスできない人もいるのです。それでは本当に助けが必要な方は必要なところにつながれないように思います。「魂の救い」としての教会の役割として、あらゆる人にイエス様とつながっていただく方法を見出すことを祈り考えたいと思うようになりました。
まず身近なところで苦しむ人たちこそイエス様が格別に招いてくださることをお知らせしたい、そんな福音伝道者でありたいと願います。
准允を受けて
滋賀地区 近江平安教会 鳥井 新平
「准允」という言葉は国語辞書にはない。「准」は①正式なものの次の位にあること、という意味をもつ。「允」は②みとめる。ゆるす、という意味がある。なんかちょっとイヤな感じだ。キリスト教独特の業界用語であり、権威主義の匂いがする。
教区総会の2日目の朝に行われた准允式は忘れられない出来事となるだろう。会場の平安教会はコロナ禍とはいえ、適度に距離を保ちながら、たくさんの人が座る。その人たちに見守られながら、教区議長の司式の中、緊張感をもって粛々と式が執行された。所信表明で何を語るか。式の直前に先輩牧師に助言を求めた。「『まじめにやります!』と言え。」と言われた。アーメン!「真面目」とは何か。組織に従順である事か。人に迷惑をかけないことか。波風を立てずに和を乱さぬことか。イエスは「真面目」だったのか。
近江兄弟社小学校の教員時代、私の愛読書は『ワルのポケット』(灰谷健次郎・作、長谷川集平・絵)だった。ワルにはワルの生活と事情がある。「真面目」な教師や学校の決まりから逸脱した、その「ものさし」では測れない、仲間のかばい合いや社会の周縁を生きる大人たちとのやりとりには、真実な愛があった。豊かな多様な命が響き合っていた。
さて、教会は「真面目」な人たちの心地よい居場所なのか。それとも、懐かしい「ワル」の行き来する交差点なのか、「まじめ」に考え続けたい。
教区 新任教師の紹介
導かれた湖畔伝道
滋賀地区 堅田教会 東 昌吾
この4月から滋賀地区の堅田教会に赴任いたしました東昌吾です。
およそ10年ぶりに京都教区に戻ってまいりました。同志社大学神学部に在学中から京都教区の交わりに加えていただいていたことを思い出します。京都南部地区の青年会に参加したり、教区総会のお手伝いをさせていただいたり、あるいはネパールプロジェクトや性差別問題特設委員会などに加えさせていただいていたことを覚えています。また、大学院生時代には京都教区センター2階に管理人として住まわせていただいていました。
堅田教会への着任は、妻である東希の近江兄弟社中学校・高等学校赴任が決まったことによります。妻の赴任に合わせ関西の教会への赴任を希望していたところ、堅田教会より招聘されたのです。私自身、幼稚園から高等学校まで近江兄弟社で育ちましたので、妻が近江兄弟社に勤務することと、ヴォーリズの働きによって建てられた堅田教会へ赴任することに、召命というものの不思議さを感じています。
堅田教会は、決して経済的に余裕がある教会ではありません。教区の皆様が日頃ささげてくださっているデナリオン献金による支えがなければ、現在の活動を維持していくことは難しいかもしれません。現状ではデナリオン献金によって牧師としての働きが支えられているとも感じています。会堂の修繕などの課題も多々あります。京都教区の皆様のお支えに感謝しつつ、皆様と共に信仰の道を歩んでいきたいと願っています。
キリスト教教育の道が与えられて
近江兄弟社中学校 東 希
4月より近江兄弟社中学校に赴任しました東希です。
ヴォーリズ学園に赴任して、中学校の魅力のひとつは、宗教教育だと感じています。それは、宗教行事も日々の礼拝も教員たちが「学校にとって大切だ」と認め、学年・クラス単位でもきめ細やかに指導しているところにあります。
このことを代表するのが日々の礼拝と授業前後の黙祷です。学校の1日は、放送礼拝、全体礼拝、生徒が奨励するクラス礼拝と毎日、いずれかの礼拝から始まります。
放送礼拝では、教員たちが聖書の御言葉から、自分の経験や身近なことを語り、生徒たちの奨励のお手本となるような話をしてくれます。
そして、ひたむきに聖書や語られるメッセージに向き合う1年生、少し難しい年齢になってきたけれど、感想は素直な気持ちを書いてくれる2年生、最高学年として、後輩の前で聖書のお話をする3年生、どの学年も味があり、素敵な生徒たちが集まっています。
私自身は、中高時代に良い思い出がなく、苦しい思いからキリスト教と出会いました。しかし、常に群れからはぐれた一匹の羊を探し求め、連れかえる羊飼いの姿が恩師の姿と重なり、教員を志すようになりました。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(コヘレトの言葉12章1節)の御言葉のように、生徒たちが若き日々に神様と出会い、沢山の愛を受け、互いが神様に結ばれたきょうだいのように尊びあい、優しく伸び伸びとしてほしいと日々、願っています。また、そのためにまず、自らがなせる最良のことをなさせてください、が私の毎日の祈りです。
支え・導かれて
京都南部地区 錦林教会 荒木 富益
今年度より錦林教会の牧師として就任しました荒木富益です。よろしくお願いいたします。私は京都で生まれ、世光教会で育ちましたが、大学より35年間東北で生活をしていました。久しぶりに京都で生活をし、初めての保育園園長兼務で、戸惑いばかりの生活をしています。
その中にあって、多くの方々に支えられていることに感謝しています。神様は私の周りに、私が失敗したり分からない事があっても、責めるのではなく助け教えてくれる人を備えてくださっているので、何とか前に進むことが出来ています。
京都で牧師として生活をする中で、今まで以上に感じるのが、父親の存在です。私の父は、私が14歳の時に牧師として召天しました。その頃の私は「神様、何で父を奪うのか」という問いばかりを投げかけていました。そして「牧師なんかに自分はなるもんか」と思っていました。
しかし、父は40歳で召天しましたが、私は40齢になった時に献身し、召天してから40年目に私が京都に戻って来たのです。さらに父の高校の同級生が教会員としておられたり、父の大学の同寮生が錦林教会の礼拝に出席してくださったりと、父の存在を感じ、支えられている思いです。キリスト者は「死んでも生きる」と言われる事がありますが、その事を実感しています。
今後も、神様の大いなる支えと導きを感じ、京都教区の方々と共に歩める事に感謝して過ごしていきます。
民度の高さの中で思うこと
両丹地区 福知山教会 安藤 昭良
4月から福知山教会で牧師を務めています。京都はつれ合いの根拠地であり、わたくしが無任所教師であった期間に居場所を提供してくれた土地です。そんな京都教区の中に招聘が与えられたことについて「神様の選びはある」と喜んでいます。とは言え、選びは「その職務を果たしうる資質を持つ」という意味では絶対にあり得ない、と思って自らを戒める毎日です。3年ぶりに対面開催された教区総会で、同労の友らに再会できたことも祝福でした。教団議長問安のない総会は、それ自体が京都教区の独自性を現していたと思いますが、かつて経験した他の教区・地区との落差も痛感しました。「教団執行部の意向はすべて善で、反対する不穏な人々は悪」という感覚を持つ人は、牧師、信徒を問わず大勢いて、それが今の日本基督教団の喫水線になっているのではないか。…いいなぁ、京都教区は風通しがよくて。しかし反面で、京都教区総会のような場からはこの落差の現実が見えにくいのではないか、と感じられるのです。自分の現場を含めて、京都教区諸教会が、世情に流されずに(時には世情に抗って)民度を上げる方向に歩んで行くことを希求しています。そのために、わたくし自身の残り時間を注いでいければよいなあ、と思っています。
今津の地にて
滋賀地区 今津教会 後藤 聡
4月に今津教会に赴任した後藤聡と申します。
仙台生まれの仙台育ち、兵庫、大阪、沖縄などで生活をし、豊中市の梅花教会から初めて滋賀県に来ました。今津教会は本年12月創立100年、今津幼稚園は創立90年を迎えます。浅学非才の私は充分にその任を果たすことができるかはなはだ心もとない者ですが、神と教会員、地域の方々や幼稚園の子どもたち、保護者のみなさんに支えられてゆっくりと歩みたいと思います。
聖書の学びは奥が深く、じっくりと読み続け、祈る日々であることを願っています。韓国を始めとするアジアのキリスト教史に関心がありますが、今回の引っ越しでだいぶ整理しました。
いつも身近におられた先輩方が天に召され、もっとお話をお聞きしたかったと思うこのごろです。
4月以来、滋賀県をドライブし、びわ湖周辺の野鳥や素朴な花を愛でています。先日、そのドライブ中に野生の猿数匹と遭遇し、驚愕しました。
人間も甘いのですが、甘いものが大好きです。
よろしくご指導ください。
初心に返って
京都南部地区 同志社教会 菅根 信彦
同志社教会の招きに応えて4月に主任担任教師として着任しました。そして、7月3日(日)に多くの方々の祈りによって就任式を終えることができましたことを感謝いたします。改めて「初心」に返ることの大切さを覚えました。前任地は神戸教会、担任教師時代を含めてそこで25年間の牧会の時を刻みました。ご存知の通り、同志社教会は「西京第二公会」として、同志社英学校開校設立の翌年、1876年12月3日に新島襄を牧師として設立します。そして、新島襄の書簡の中にある「自由教育・自治教会両者併行」という言葉を体現するように、幾たびかの教会存続の厳しい時代状況を乗り越えて、いわゆる「学園教会」として歩みを続けてきています。その歴史的な流れを実感しながら、「自由・自治・独立」の精神を堅持しつつ、学園の「良心教育」に触発されて、同志社教会の伝道、教育、奉仕の業に会員の皆様と共に参与していきたいと思います。前任牧師の望月修治教師同様に、学園のために祈り、この与えられた歴史の賜物を生かしながら、さらに、時代の宣教課題に取り組んでいきたいと思います。ポスト・コロナ、ウイズ・コロナの宣教を見据えて、また、平和が脅かされる時代の中で「平和を願って、これを追い求めよ」(1ペトロ3章11節)の聖書の言葉を真摯に受け留めていきたいと思います。また、合同教会としての日本基督教団の宣教課題と向き合い、京都教区にある教会として諸教会・伝道所と共なる歩みを果たしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
これからも
京都南部地区 賀茂教会 藤浪 敦子
子どもの幼稚園をどこにしようかと考えていた時、賀茂教会が礼拝場所としてお借りしているマクリン幼稚園で制作展がありました。普段、使っている遊具やおもちゃを上手に取り入れながら、園舎全体を一つの作品に仕上げたような、大胆でのびのびとした展示が印象的でした。子どもたちが自由に考えながら楽しそうに取り組んだのだろうなと、またそれを全面的にサポートされているマクリン幼稚園の先生方の思いと情熱が伝わってきて、とても感動したことを思い出します。本当は、たんぽぽ組(当時の未就園児クラス)だけ通わせて、正式な入園は自宅近くの幼稚園にしようと思っていたのですが、制作展の圧倒的な展示に心打たれて、マクリン幼稚園への入園を決めました。
あれから時が流れ、我が家の子どもたち3人がお世話になり、トータル9年に渡るマクリン幼稚園通いも、あと1年あまりで終わりと思っていました。しかし、不思議な神様のお計らいで、この4月からは賀茂教会の牧師として、これからもマクリン幼稚園との関わりの中につないでいただけることになりました。一体、いつから神様はこのご計画を進めておられたのか。かつてマクリン幼稚園の制作展で受けたような感動、それ以上の神様の圧倒的な導きに支えられ、背中を押されて、賀茂教会での歩みをスタートいたしました。
小さな器である私を御心にとめ、呼びかけてくださった神様のみ声に応えて、これから賀茂教会の皆さんと共に歩んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
リレー連載コラム第13回
―教会とセクシュアル・ハラスメント問題―
立ち止まって考える
セクシュアル・ハラスメント問題小委員会・石山教会 須賀 工
私は、6月19~20日、兵庫教区クリスチャンセンターにて開催された、日本基督教団(有志)第17回性差別問題全国会議2022 in 兵庫に参加しました。コロナ禍の影響により、2年ぶりの開催となった当集会には、全国から沢山の参加者がこられました。その参加者の中に、現状では自身が置かれた教区で孤立し、寂しさを抱えながら、交わりを求めて来られた方もいたと聞き、とても心が痛みましたが、このような集会が行われることの意義について、再認識することができたような気がします。
今回、私は、家族と共に、全国会議に参加しました。それは、テーマが「国家・教会・家族」というものだったからです。この機会に、「家族」について、私だけではなくて、家族で考えたいと思ったからです。家族という当たり前の事柄が、実は、国家や教会の価値観の中に置かれていないだろうか。あるいは、自分自身の価値観に縛り付けていないだろうか。そのようなことを自ら問い、自己反省をすると共に、改めて、この家族関係を、家族と共に考え直す。そのような良いきっかけになればと思い、家族での参加を決めました。結果的に、全国会議後、帰りの車中で、家族について、共に話が出来たことはよかったと思います。
そもそも、キリスト教は、個人的な宗教であると思っています。神様と個人の関係が大切にされていると思うのです。しかし、いつの間にか、キリスト教界隈において「クリスチャンホーム」という言葉が定着し、それに加えて、理想的なクリスチャンホームが求められていくようになったように思います。それだけではなくて、そのような理想像が、日本の父権的家族論と混ざり合うことで、ますます、現代の価値観から離れて問題化していくこともあるだろうと思いますし、生きづらさを感じる人も生まれてくるだろうと思うのです。
私自身も、何も考えずに、そのような固定された価値観を持っていましたし、今思えば、自分自身の理想的な家族論を家族に押し付けてしまったところもあるだろうと思います。しかし、その価値観そのものが、既に、父権的であり、自分中心であることを、もう一度、立ち止まって考えていくことが大切であることに気づかされました。
私の家族(このような言い方も正しいかはわかりませんが)には、皆それぞれ個性があります。そして、その一つ一つの個性が、その人を輝かせていると思いますし、それぞれの個性をもっともっと輝けせて欲しいとも思っています。家族だからこうでなければいけない。家族とはこういうものだ、というような、あらゆる家族論からも解放されて、一人一人がのびのびと、さらに、お互い無関心になるのではなく、お互いを尊重しあって生きられるような、家庭環境を整えていきたいと思いました。
教団は一つであることを求め、教区は連帯を求め、家族は団結を求められる中で、しかし、同時に、そこに生きる一人には、その人にしかない輝きがあることも忘れてはいけないでありましょう。そして、その輝きを消すことなく、お互いをリスペクトしながら生きる。そのことの大切さも、各所で再確認され続けていくべきなのだと言えるのです。
このように、大きな課題を、自分の生活の座に落とし込んで考えることのできる、よい機会を頂けた、本当によき全国会議でありました。準備をされた実行委員の方々に、心から感謝をいたします。
「日本基督教団(有志)性差別問題連絡会
第17回性差別問題全国会議2022 in 兵庫」参加報告
性差別問題特設委員会 京都南部地区 向島伝道所 岡嶋 千宙
2022年6月19~20日、兵庫教区クリスチャンセンターを会場として開催された全国会議には、13教区2団体から計80名(大人77、子ども3)、うち、京都教区からは14名(大人11、子ども3)が参加しました。会議全体のテーマは、「国家・教会・家族」。初日のパネルディスカッションで発題された増岡広宣さん(西宮門戸教会/兵庫教区)、新堀真之さん(甲東教会/兵庫教区)、本多香織さん(瀬戸内教会/九州教区)。それぞれが、ご自身の現場と立場から、このテーマに真摯に向き合い、丁寧に言葉を紡いでいく姿には、多いに揺さぶられました。「・」で結ばれた3つのモノたちは、それぞれが単独で扱われるべきなのだけれど、併さるからこそ見えてくるものがある。家父長的家族主義に裏付けられたつながり。これまでも幾度となく「おかしい!」と感じていたことを、今回改めて、重大なそして緊急な課題として突き付けられた思いがします。続く2日目の分団と全体協議で響いた声の数々。同様に揺さぶられた方が多かったのか、それぞれに感じるおかしさを指摘する言葉が交わされました。毎年行われていた全国会議が約2年半ぶりに開催されたこと自体が大きな成果です。オンラインも良いけれど、やはり、顔を合わせて、体を向き合わせて、久しぶりに再会する人、初めて出会う人たちの、生の声の息を感じることが大切だなと実感した2日間でした。
2022年度 京都教区定期総会のご報告
京都教区総会議長 京都南部地区 京北教会 今井 牧夫
京都教区定期総会を2022年5月20日(金)13:30~18:00、5月21日(土)9:00~12:00に、平安教会で行いました。コロナ禍で過去2年連続の書面総会を行い、今回は3年ぶりの対面総会でした。コロナ禍の感染対策として、時間短縮や、広間での受付、開会礼拝の省略、議事進行の簡略化、議場の座席設定など、様々な工夫をした結果、参加者皆様の種々のご協力により、感染クラスター発生などの事故がなく、全体を安全無事に行えたことを神様に深く感謝し、会場の平安教会はじめ議員や奉仕者、関係者皆様のご協力に御礼申し上げます。
私は議長として開会祈祷の前に、以下の聖書を朗読しました。「そこで、イエスは言われた。『異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。』」(ルカ22章25、26節)この言葉を聴くことから総会を始め、ロシア・ウクライナの戦争や、世界の経済格差の中でのコロナ禍など、苦しむ世界の中にあって、私たち京都教区が主に導かれて用いられることを、心から祈り願いました。
総会では2日間で30議案を扱い、全議案を可決し、また選挙と准允・按手式礼拝を行いました。2022年度予算案では、コロナ禍による各個教会・伝道所の教区負担金10%減を可決。法定議案以外には、主に以下の議案を可決。
●第19号「一般財団法人クラッパードイン設立に伴う定款に関する件」
アメリカ合同教会の世界宣教部門(WCM)が京都市内に所有する元宣教師住居(名称:クラッパードイン)の土地建物を、安定的に管理運営するため、WCM・京都教区・バザールカフェ運営委員会の三者で財団法人を設立する計画を建て、その法人定款を決定しました。
●第20号「第42回教団総会での教団機構改定に反対して教団総会議案2件を提出する件」
教団常議員会による教団機構改定案の問題を指摘する議案の教団総会提出を決定しました。
●建議3件(内容を後掲)
2日目に准允(3名)・按手(1名)式礼拝を執行。そして2023年度定期教区総会は会場を洛陽教会とすることを決議しました。次年度お世話になります。
以上を報告し、京都教区に連なるすべての皆様の2022年度の宣教に主の恵みを祈ります。
常置委員の選挙結果(確定後)
総会三役 議長 今井牧夫(京北) 副議長 横田明典(近江金田) 書記 内山友也(京都葵)
常置委員(信徒) 9名
大下真弓(京都葵) 東 晃(城陽) 松田 規(福知山) 谷口ひとみ(八幡ぶどうの木) 佐藤友子(京都葵) 谷村耕太(水口) 冨増献児(西小倉めぐみ) 三好照孝(京都) 石川 誠(宇治)
常置委員(教師) 8名
横田法子(草津) 入 治彦(京都) 新井 純(世光) 井上勇一(洛南) 小笠原 純(平安) 浅野献一(室町) 平山正道(大津) 深見祥弘(近江八幡)
教団総会議員の選挙結果(確定後)
議員(信徒) 10名
大下真弓(京都葵) 谷口ひとみ(八幡ぶどうの木) 松田 規(福知山) 谷村耕太(水口) 三好照孝(京都) 志賀 勉(紫野) 原田 潔(大津東) 菅 恒敏(京都) 冨増献児(西小倉めぐみ) 佐藤友子(京都葵)
議員(教師) 10名
今井牧夫(京北) 横田明典(近江金田) 平山正道(大津) 入 治彦(京都) 井上勇一(洛南) 内山友也(京都葵) 小笠原 純(平安) 川上 信(八日市) 新井 純(世光) 大山修司(膳所)
2022 京都教区総会での建議・声明
建議1号(提案者 棚谷直巳)
京都教区は教団世界宣教委員会に対し教団外国籍教師の宗教ビザについて継続的に働きかけ滞在資格と人権の課題に取り組むことを求める件
提 案 外国籍の日本基督教団教師が安定して宣教に従事できるよう、宗教ビザの取得に京都教区は協力し、あわせて日本社会の問題として滞在資格や人権の問題を取り組むことを求めます。
提案理由
教団外国籍教師の人権に関わる課題については、2017年に「外国籍教師の滞在資格に関わる問題の基本情報を、京都教区で共有し、伝達する件」が出され可決されました。その節に、「外国籍の日本基督教団教師が法的な滞在資格を得て、日本社会において継続的な宣教活動に従事することが難しい状況」の一方で、それらを日本人教師たちの課題として事態を把握できていない状況も指摘されていました。
2018年、教区に教団世界宣教幹事が来られた折に、宗教ビザの取得の方法について具体的な話し合いがありました。宗教ビザの獲得のためには、それぞれの国におけるキリスト教会・教団からの宣教師の形をとる必要があることは分かっていましたが、そのことは日本基督教団と、それぞれの国の教会・教団との信頼関係によって成り立たせることが可能だという話を聞きました。ただし、幹事個人のこれまでの国際的な人脈・信頼関係が大きいと感じられるお話でもありました。今2022年度において「各国の教会・教団との信頼関係に基づく宣教師派遣手続き」は可能であるのでしょうか。
2021年3月の、スリランカ出身ウィシュマ・サンダマリさんが名古屋の入管施設で病を放置され死亡した事件は記憶に新しいところです。入管施設はじめ日本の出入国管理法の問題は日本社会の問題であり、そのまま日本基督教団での外国人教師の滞在資格・教師として働く権利の問題と地続きの課題であると考えます。さらには、ウクライナはじめ各国からの難民の受け入れが日本は極端に少ないこと、在留・定住外国人の社会保障はじめ人権が守られていないこともまた、この課題と地続きであると考えます。
宣教の課題として、また平和と人権の問題として、外国籍教師の滞在資格と人権の問題を、京都教区が継続して積極的に考え、宗教ビザの課題も担っていかれることを切望いたします。
建議2号(提案者 浅野献一)による教区声明
「今、あらためて『日本国憲法』を擁護する態度を表明し、『武力・戦力保持による紛争・戦争解決』に反対する声明」
われわれ京都・滋賀にある諸伝道所・教会とそこに集う者は、神による平和・正義・公平を希求し、「日本国憲法」の基本原則である主権在民、基本的人権、平和主義を護り、国家優先の憲法とする改憲の試み、また戦力保持を是とする改憲の動きに強く反対する。そのために、憲法改悪を憂慮し、現憲法を擁護しようとする多くの住民とともに、引き続き、こうした動きに抗うことを表明する。
ウクライナ情勢を受けて、日本において、「敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有」や「核共有」、「防衛予算倍増」等が議論されていること自体、15年戦争後の日本の歩みへの侮りであり、否定である。
戦争と武力の保持・威嚇を放棄した「日本国憲法」(第9条)の定めるところにより、粘り強く外交・交渉を行い、「国際平和を誠実に希求する」ことを強く求め、「集団的自衛権」・「戦力保持・増強による紛争・戦争解決」に平和の主イエスにあって強く反対する。
2022年5月21日 日本基督教団京都教区
第86回(合同後第56回)定期総会
建議3号(提案者 大山修司)による教区声明
「第72回全国植樹祭に反対する京都教区声明」
2022年6月5日、滋賀県甲賀市を会場に、第72回全国植樹祭が開催されようとしています。私たちは、全国植樹祭が掲げる「国土緑化」の理念が欺瞞であり、これが天皇制強化のための儀式に他ならないものであると考えるゆえに、その開催に反対します。
全国植樹祭は、「国土緑化運動の中心的行事」とされる行事であり、毎年どこかの都道府県を会場にして行われます。主催は開催都道府県と国土緑化推進機構ですが、開催地の自治体が共催し、多くの税金が投入されます。また、この儀式には天皇・皇后が参加し、形式的な「植樹」を行い、子どもたちを含む多くの市民が動員されます。
「木を植える」というクリーンなイメージと華やかなお祭りムードに彩られた植樹祭ですが、その背後で、木を植えるために山を切り崩したり、お祭りの場に「そぐわない」しょうがい者や病人・路上生活者・反対する人々を排除し、差別してきた歴史があります。
全国植樹祭は、その地域に生きる人々と自然のための祭りではなく、天皇制を強化したい人々と、植樹祭の開催により利益を受ける人々のためのものです。
全国植樹祭は、「緑化」の名を借りた天皇制強化の儀式に他なりません。そして「貴あれば賤あり」と指摘されてきたとおり、そこには必ず排除が伴います。
19世紀末のアメリカにおける「Arbor Day」から今日の全国植樹祭へと至る歴史を省みると、天皇制強化という性格が顕著になるのはアジア・太平洋戦争敗戦後であることがわかります。経済的効果を目的として始められた「Arbor Day」は教育者であり、会衆派教会の牧師でもあったノースロップにより教育的意味を付加されました。日本においてその主張は文部次官の牧野伸顕により「学校樹栽日」として奨励されました。転機となったのは1934年です。この年に、日本では思想・経済的統制が強化され国家総動員体制の確立へと進んでいく状況において、「愛林日」が制定され、愛林に関する催しが全国一斉に行われるようになりました。この経緯をふりかえると、「愛林日」の制定が総動員体制を浸透させる効果を持つこととなったのは、明らかです。
「愛林日」の植樹行事は1947年に再開されますが、このときは未だ天皇は参加しなかったものの、皇太子が参加しました。さらに翌年(1948年)からは天皇・皇后が参加するようになりました。そして1953年からは天皇の歌の「下賜」と石碑の建立が慣例化し、1954年からは関東近郊だけでなく全国で開催されるまで広がることとなったのです。そのような広がりに伴い、毎年示される開催テーマは1970年を境に林業的関心が明瞭なものから抽象的で郷土愛を強調するものへと変化していくこととなりました。さらに1977年には、かつて天皇夫婦が植えた木を皇太子・皇太子妃が世話する「全国育樹祭」も開始されるに至りました。
こうした流れを踏まえてみると、今日の「植樹祭」は、戦後に創り出されたものであると言えるのです。そしてこうした新たな天皇行幸行事の創出の背景には、天皇を頂点とした大日本帝国としての体制のなかでは、“当たり前”に実施されていた国家神道に関する様々な行事や、天皇の存在を帝国の従属民である「臣民」に意識を浸透させる「御真影」や日の丸・君が代、教育勅語などの代替物のひとつとして、「植樹祭」を利用しようという明確で強い意図があらわれています。
さらにこうした儀式が、主権在民と基本的人権の尊重をうたう日本国憲法を最高法規としているはずの戦後日本のなかで新たに創り出され、もはや当たり前になってしまっていることに、改めて強い危機感を覚えます。そのために、わたしたちはこの事態を看過することができません。
わたしたち日本基督教団京都教区総会は、戦時下において天皇の名のもとに遂行された戦争に協力、加担してしまったことを反省し、主権在民をないがしろにして今も行われている天皇制強化の動きと、その一端としての「植樹祭」に対して反対を表明します。
2022年5月21日
第86回(合同後第56回)日本基督教団京都教区総会
「敗戦記念日を覚え、平和を求める集い」報告
近江平安教会 鳥井 新平
8月7日、暑い日。大津市におの浜にある解放県民センターに足を運んだ。「敗戦記念日を覚え、平和を求める集い」に出席するためだ。市民団体と日本基督教団京都教区「教会と社会」特設委員会が共催して、毎年行なっている集会だ。今回の講師は斎藤正樹さん(ウトロを守る会)で、講演テーマが「ウトロに出会い ウトロで出会う~ウトロの歴史と闘い」だ。約60名が参加した。
斎藤さんの話は、若き日に市の職員として、地域に入って部落解放運動にうちこんでいた時代の話からはじまった。その地域に入り込んで、住環境を地元住民とともに闘い改善していく姿勢は一貫している。京都府宇治市にあるウトロ(地区の名称)の形成は戦前の逓信省と民間の飛行機製造会社が計画し、京都府が推進した軍事飛行場建設だった。その建設のため、当時日本の植民地だった朝鮮半島から徴用されて来た朝鮮人が、ウトロ地区に住むようにされ始めたのは1943年の頃だ。それ以降、戦後に「不法占拠」とたたかれながらも、差別の中で人間として当然な居住の権利を守り抜く住民の闘いが斎藤さんのお話で具体的にわかった。ウトロ地区には電気はあったが、水道はなかった。共同井戸しかなく、杉の皮をふいた屋根と壁だけの飯場に暮らした。劣悪な住環境だが、互いにカギをかけず様々な住民が助け合って生きていくコミュニティーが息づいていた。
そのウトロ地区の建物に1年前、放火した犯人は22歳の若者。ネット掲示板にヘイト書き込みをする仲間の中で、自分が目立った存在となることを目的とした悪質なヘイトクライム(民族差別など憎悪の感情による犯罪)だった。事件後、「ウトロに来て一緒に飯を食って話をしてたら、一生を棒に振るような犯罪を犯さんでもよかったのに」とつぶやいたというオモニの言葉が心に響いた。
2022年4月に現地にオープンしたウトロ平和祈念館は、住民と海外を含めたくさんの支援者が、様々な民族・国籍・立場の壁を越えて共に差別を乗り越えてきた歴史を記念して建てられ、ボランティアと寄付金で運営されている。教会の現場研修や子どもたちとの遠足などに、ぜひ、どうぞ。
教団「第15回 部落解放全国会議in京都」延期とプレ集会開催のお知らせ
2022年10月京都教区で開催予定した教団「部落解放全国会議」は、コロナ感染拡大を受けて1年延期が決定されました。同時に今年度の全国水平社創立100年記念として、全国会議「プレ(前段)集会」オンライン開催を決定しました。2022年10月25日(火)15:00~17:30、講師は全国会議で講演予定だった山本栄子さん。申込みはQRコードか、FAXで072-875-8471(教団部落解放センター)まで名前、所属、連絡先を記入して、10月15日までにお申込み下さい。
(文責:横田明典)