─滋賀・両丹・京都南部の3地区 75教会・伝道所と地域の“宣教”のために─
日本基督教団 京都教区ニュース
THE UNITED CHURCH OF CHRIST IN JAPAN - KYOTO DISTRICT
今総会期 第1号 発行 2020年10月21日
発行人 今井牧夫 編集人 内山友也
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コロナ禍における各教会・伝道所の歩みの多様性
新型コロナウィルス禍における教会の歩み
滋賀地区 石山教会 須賀 工
新型コロナウィルスの影響を受けて、石山教会は、4月中旬から5月末にかけて、会衆を入れずに礼拝を捧げました。このような事態に際し、役員会は、補助的手段として、ネットを利用したライブ配信での礼拝に切り替わることを、全ての教会員に連絡をした上で、ライブ配信以外で礼拝を望まれる方が、どの程度おられて、どのような礼拝を望まれているかを調査しました。
ライブ配信以外では、説教原稿もしくは礼拝式次第の事前配布、CDの事前配布という希望がありました。この希望を受けて、それぞれの仕方で、礼拝が行えるように、個別で対応をしました。しかし、教会として大事にしたことは、どこにいても、礼拝は一つであるということでした。別々の礼拝を捧げているのではなく、共に礼拝を捧げているということを、週報に記載し続け、その思いを共有しました。現在は、距離を取り、感染予防対策をした上で、礼拝をしています。但し、ライブ配信は、今も継続していますが、その目的や意味合いは、徐々に変わりつつあるようにも思います。
このような礼拝の在り方が、本当に良いか、悪いかは、今も答えが出せていません。感染症に対する理解は、皆それぞれ違うためです。しかし、このような時代の中で、私達は、お互いが、どうしているかを監視したり、批判したり、逆に、同調したりするのではなく、神様が、この時代の、この教会の在り方をどう見ているのか、そのことに思いを馳せつつ、そして、お互いの働きを尊重しあいつつ、神様の導きを祈り願うものでありたいと思うのです。
今回の特集にあたって
京都教区ニュース編集部
今回、コロナ禍における各地の様々な歩みを寄稿いただきました。具体的な対策は、地域状況や取り組み方により、本当に多種多様です。どこかに唯一の正解があるとは考えられません。誰もがそれぞれの場で苦闘しています。そのことを互いにわかちあい、励まし合い、祈り合う目的で掲載をいたします。
コロナ禍の大津東教会
滋賀地区 大津東教会 今井 圭介
大津東教会では、4月12日から5月24日まで、会堂での礼拝を中止しました。その間は週報と宣教(説教)を土曜日までに届くように郵送し、日曜日は各家庭で礼拝をささげました。期間中、電話や手紙で教会員たちの声をたくさん聞きました。やはり「会堂で集うことができないのは寂しい」という声が多く、この選択で良かったのだろうかと、今でも考えさせられています。一方で、「今日は教会と〇〇さんのことを神様に祈りました」といった声もありました。いつも以上にお互いを思い合うことができた。集えなくても共に礼拝をささげられた。私たちは離れていても、教会として結びあわされているのだということを、今まで以上に強く感じさせられました。このような経験をもてたことは、思わぬ収穫であったと思っています。
現在はマスクや手指の消毒など感染拡大防止の対策を取りつつ、ほとんど通常通りの礼拝をささげています。ですが、聖餐式はずっと見送っていて、今年度はまだ一度も行っていません。また、大津東教会の夏の恒例行事である流しそうめんも、昨年から始めた工作教室も、今年は中止になってしまいました。小さな集まりではありますが、近隣の方々が教会に足を運んでくださる数少ない催しでしたので、残念でなりません。
まだ様々なところで大きな影響がありますが、一日も早く良い方向へと向かうよう願っています。京都教区の諸教会とそこに連なる方々の上に神様の豊かな恵みがありますように。
与えられた恵み
京都南部地区 桂教会 熊谷 沙蘭
新型コロナウィルスの猛威は、主任牧師が出産し産休を取るという桂教会で初めての経験をしている最中、教会を襲いました。役員会は早々にコロナについて話し合い、牧師と連絡を取りながら、学校が一斉休校となったことを受けて3月15日から礼拝を休止しました。その後一旦礼拝を再開しましたが、学校の一斉休校が継続になったことを受けて礼拝を再び休止。5月より牧師が復帰し、牧師と一部の信徒だけで主日礼拝を行い、その模様をYouTubeで配信することにしました。そして6月7日より感染防止策をとる形で礼拝を再開しました。6月7日の礼拝は1月末より産休を取っていた牧師による、久しぶりの開かれた礼拝でした。その日はペンテコステで受洗した兄弟の紹介や、誕生した子どもが初めて教会で紹介される等、大きな喜びと笑顔に教会が包まれました。コロナ禍という大きな不安の中でしたが、新しいメンバーが加わった恵みが、教会に大きな希望を与えました。
今では牧師が日曜日の夜に、礼拝動画を配信するメールを送ることが習慣となり、そのメールには教会の出来事や近況も載せています。以前よりも教会内でのメールや手紙の行き来は増え、遠方に住まれる教会員がYouTubeの礼拝を見て連絡を下さったこともあります。
何より教会に繋がるお一人お一人が、教会が自分にとって大切なものであることを再確認できたことが大きな恵みとなりました。不安や制限のある中で、行事のほとんどが中止となりましたが、大切な教会をどのように運営していくのか、またどのように工夫して宣教活動を行なっていくのか、活発に話し合われるようになりました。不安の中にあるからこそ、そこにいてくださるイエス・キリストの恵みに気付ける信仰を与えられるよう、皆で祈りあっています。
神の御業が現れるために
京都南部地区 京都丸太町教会 大賀 幸一
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネ福音書9:3)
同志社大学神学部教授、石川立先生が主日礼拝で語ってくださった上記の御言葉は、私たちが直面している現状を、信仰者としてどのように捉えるかを明らかにしてくださいました。今世界が病にかかっているのは、神様の御業が現れるためなのです。
新型肺炎の強力な感染力は、教会の宣教伝道にも大きな影響を及ぼしました。イースターを前に、礼拝、祈祷会を休止するのか、教会の皆さんを守るためにはそうする以外にはないが、なかなか思いきれませんでした。
しかし、“緊急事態宣言”が出されて、この時を逃して教会を、教会の皆さんを大変な事態に陥らせてはならないと考え、礼拝、祈祷会、教会の集会の一切の休止を判断しました。まさかその後2ヶ月間も教会全体が休止せざるを得ないとは想像できませんでした。教会の皆さんを感染から守るためとはいえ、この間教会の働きは失われ、使命は果たされているのか、という自問自答となりました。
礼拝、祈祷会の再開のタイミングは、ペンテコステでした。緊急事態宣言が解除されたこともあり、ペンテコステから改めて教会に与えられた使命が始められるようにと祈り、礼拝、祈祷会を再開しました。もちろん、現在有効なる感染対策を行っての再開です。私たちはこの時代に、教会がなすべき使命が当然あると考えています。神様の御業が現われるために、神様を崇め、教会のなすべき使命を果たして行きたいと願っています。
新型コロナウイルス感染症へのゴスペルハウス教会の対応について
京都南部地区 ゴスペルハウス教会 金 度亨
ゴスペルハウスでは新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う国の緊急事態宣言を受け、感染拡大の防止及びゴスペルハウスに連なるメンバーの健康と安全を考えた結果、4月12日(主日)~5月31日(主日)までの各集会と文化講座の開催及びカフェの活動を一時休止しました。その期間中、礼拝は、牧師、奏楽者だけで行い、その他の教会のメンバーは礼拝時間にfacebookを通して発信されるライブ礼拝を視聴しながら各家庭で共に礼拝を守ることにしました。週報やその他の連絡事項については電子メールで礼拝日の前日までにお送りし、また、礼拝のライブ配信を視聴できない方には説教の録音ファイルをお送りしました。
6月からは以下のような感染防止対策を徹底しながら通常の礼拝を再開し、今日に至っております。なお、体調不良などの理由で、礼拝に出席できない方のために、引き続き礼拝のライブ配信を行っています。
1.入堂時の対応
・手の消毒、マスクの着用を確認する
・入り口で検温を実施する
2.礼拝時の対応
・説教台の前にアクリル板を設置し、飛沫を防ぐ
・座席の間隔を離す、また空席を設けて、密を避ける
・説教の時間を普段より短く調整して、1時間内で全ての礼拝が終わるように心かける
・愛餐会、聖餐式をコロナの期間中は一時中止とする
・教会に配置して共同で使う聖書と賛美歌の代わりに、個人用に用意した印刷の資料を使用する
3.礼拝後の対応
・共用スペースの消毒・換気を徹底する
以上、ゴスペルハウスにおける新型コロナウイルス感染症への対応について紹介しましたが、場所と空間を共にしながら主を賛美し、いのちのパンを分かち合うという教会の存在の意味を考える時、集まることが困難な、あるいは出来るだけ集まることを控えねばならないような今日の状況は教会にとって、信徒にとっては大変苦しいものがあります。
しかし、このような時だからこそ、イエス・キリストを思い起こします。イエスさまは常に弟子たちと共に働き、共に生活をしておられましたが、たびたび人里離れた場所で一人で祈る時間を持たれました。人々の中で人々と共に働くこと、そして、人々と離れて一人になること、その両方がイエスさまには大切であったと思います。
今日、我々が置かれている半強制的なソーシャル・ディスタンスは、ある意味、さびしくて苦しい、また、消極的で無意味な時間のように思われるかもしれません。しかし、今しばし、与えられた人々のために人々と距離を置くことの意味を、一人で静かに祈られましたイエス・キリストの姿を学ぶ時間として活用できればと思います。
京都教区大会中止のお知らせ
京都教区ニュース編集部
2020年11月21日(土)に両丹地区の会場で開催予定であった、京都教区大会をコロナ禍での感染対策のために中止することを、主催者の宣教部が9月に決定しました。次の開催は未定です。
コロナから見えたもの
滋賀地区 長浜教会 井上 正道
今、教会は礼拝をオンライン配信化など外に出なくても礼拝が守れるように柔軟に対応し教会としての「礼拝の守り方・在り方」が変わってきました。
長浜教会でも主日礼拝を開放して行うかが問われました。私自身は、礼拝を閉鎖するかどうかの判断は私個人ではなく、教会員の総意で決めるべきだと思っていました。そして、教会員の意見を聞いたとき、礼拝を閉鎖する意見もありましたが、「主日礼拝だけは開いてほしい」という意見もあり、教会として出来る感染予防を徹底して礼拝を行うことを決めたのです。内容としては換気を常時行い、席の間隔を空け、礼拝時間を30分以内(讃美歌を1番と最後の番のみを小声で賛美、説教の短縮など)に行う。すべての委員会・集会を当分休会。などのできる感染予防を行いながら私たちは主日礼拝を守っています。
このような限られた形で守る礼拝でしたが、当時全く売っていなかった消毒液の献品や礼拝前後の消毒作業など、礼拝を短縮してから教会一人ひとりができる奉仕を行いながら主日礼拝を開放して行ないました。しかし、その奉仕の姿を見ていて、教会員一人ひとりが礼拝を閉鎖しないために行える最善を尽くす強い意志をコロナ禍で見ることが出来たのです。
そして、その清掃・消毒作業や検品などの身の回りの奉仕は、コロナが少し落ち着いてきた今もずっと続けられています。今、教会として何をどうすべきか試されている時ですが、できる限り礼拝を守り続ける中で見えてきた「人々の信仰」が長浜教会で垣間見ることが出来たのです。
東舞鶴教会の現状
両丹地区 東舞鶴教会 山下 瑞音
私どもの教会では感染症の拡大に伴い、4月19日(日)より公の礼拝を休止し、牧師夫妻と長老2名の出席のみで礼拝を守ることにいたしました。その後5月31日(日)より礼拝を再開し、8月2日(日)には3月以来延期していた聖餐式を執り行うことが出来ました。
礼拝の再開後はほとんどの教会員が礼拝に出席してくださり、教会学校の子どもたちも全員が戻ってきてくれました。一方で、公の礼拝休止をきっかけに、周囲の反対などにより教会に来られなくなった高齢の方がおられたことも事実です。
公の礼拝休止は教会にとって大きな決断でしたが、一方で礼拝について理解するためのよいきっかけになったと感じています。また、礼拝に参加できない方のためにYouTubeチャンネルを開設するなど、今までにない取り組みにもつながりました。現在、YouTubeチャンネルは感染症対策の枠を超え、伝道の働きにも貢献しています。
現在も感染症対策は続行しており、受付での検温と手の消毒、マスク着用と座席の空間確保の徹底、讃美歌の短縮と斉唱中の換気などを行っています。また聖餐式は今までの担当長老がパンとブドウ液をもって会衆席を回るスタイルから、会衆に聖餐卓まで歩み出てきていただく形式に変更いたしました。
今回の感染症の拡大が、教会にとって大きな危機であったことは事実ですが、同時に新しく出発するための契機であったと思います。常に御言葉によって改革される「改革派教会」の伝統に立つ教会として、新たな一歩を踏み出してゆきたいと思います。
准允・按手を受けた教師の紹介
豪雨の中の出発
滋賀地区 甲西伝道所 小西 清信
5月19日に近江金田教会で按手を受けました。本来ならば5月の教区総会で行われるのですが、今年はコロナの影響で時間や会場、規模を縮小しての按手礼でした。また按手式礼拝での今井牧夫教区総会議長の説教も、今井議長が臨席しておられるにもかかわらず、あらかじめ録音された音源を再生する方法で行われました。わたしは始め少し戸惑ったのですが、コロナ感染を少しでも予防するための措置だということに気が付き、教区執行部の先生方の隣人を気遣う細やかな配慮に感激しました。そして、私がそのような方々の仲間に加えられていることをとても嬉しく感じました。
わたしは病院で薬剤師として働いていましたが、定年退職後、関西学院大学神学部に入学しました。入学したころは将来教会の牧師になろうという気持ちはなくて、病院勤務の経験を生かして、病院チャプレンのような仕事をしたいと思っていました。そんな中で実践神学分野を担当しておられた故榎本てる子先生に出会い、大きな感化を受けました。そして先生から「将来、人と向き合う仕事を目指すのなら、今から現場を経験しておきなさい。ついてはある伝道所を紹介するから、そこで勉強しなさい。」と言われ、滋賀県にある日本基督教団甲西伝道所の礼拝に神学生として参加することとなり、また卒業するときに、榎本先生から甲西伝道所に赴任するようにと勧められました。教会の牧師になることは考えていなかったのですが、榎本先生が、叔父の故後宮敏夫牧師の教会である甲西伝道所を紹介してくださったことは、尊敬する榎本先生に信頼されていることの表れのように感じ、とても誇らしく、榎本先生のご期待に応えたいと、甲西伝道所に赴任することにしました。
わたしはもうすぐ70歳になります。だから若い人のように、将来に向かっての抱負や希望を、元気一杯に語る勇気はありません。しかし今私が教会の牧師として働いていることは、神様の深いご配慮によるものに違いないと思っています。近江金田教会で按手礼が行われている間、豪雨が降りました。その時、2年前の榎本てる子先生のお葬式の時、空に虹がかかったことを思い出しました。榎本先生が虹なのに、なぜ私の時は豪雨なのか、「神様どうして?」と思わず心の中でつぶやいてしましました。しかし、今までの歩みを振り返るとき、神様の深い愛に気づかされます。「収穫は多いが、働き手が少ない。」というイエス様のお言葉に勇気づけられて、神様のご配慮のうちに歩んでいきたいと思います。
主の御名を賛美します
両丹地区 丹後宮津教会 韓 亨模
主の御名を賛美します。このたび、2020年5月18日、京都教区の京北教会で正教師の按手礼式を受けました韓 亨模(ハン・ヒョンモ)と申します。
按手式を無事終え、このようにごあいさつできますこと、神に感謝の祈りをささげます。そして、この場をお借りして、まず丹後宮津教会のみなさん、京都御幸町教会のみなさんに感謝申しあげたいと思います。またなによりも折にふれお祈りくださり、導いてくださった両丹地区の先生方、教区の先生方に感謝したいと存じます。お気持ちに応えられますよう、誠心誠意努めたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
人類は現在、コロナ禍によって多くの変化を強いられています。思いもよらなかった事態が続き、その影響は多岐にわたっています。これまで人類が思い描いてきた世界や人生のあり方をも見つめ直さざるをえない状況にきています。
このような現在、変化する社会のなかでの宗教の機能とは何か、考えざるをえません。スラヴォイ・ジジェク(1949-)という哲学者が、宗教には二つの機能があるといっています。一つ目は、社会と政治への批判の機能で、二つ目は、社会で傷ついた人々を癒やす機能です。この二つの機能は、実はキリスト教の伝統的機能を現代的に解釈した結果ではないでしょうか。
キリスト教は、とくに教会は、人間の政治に対して根本的な批判を展開してきました。教会が、「神の国が近づいている」と宣言したイエスをキリストであると告白して、神の子と認めた瞬間から、そのような預言者的機能が、教会において重要な位置を占めています。人間の政治が志向する国は、神の国ではないからです。同時にイエス・キリストの福音を中心にすえるわたしたちの教会は、傷ついた魂への癒やし、すなわち祭司的機能を果たしながら、神の国がこの地で実現されるのを夢見てきました。
このコロナ禍によって未曾有の事態を経験している日本において、教会はどのように機能すべきなのか、という問いが頭をはなれません。完璧でない政治、完璧にはなりえない政治を批判しつつも、人間の政治によって絶望し、傷ついた人々を教会がどのように癒やし、新たなキリストへと向かう希望を伝えていくのか、神の僕として考えていきたいと思っています。アーメン。
スタートライン
京都南部地区 錦林教会 金澤 友幸
主の御名をほめたたえます。この度、准允を受けました金澤と申します。コロナ禍ではありますが、無事に錦林教会に就任し、准允を受ける事が出来て感謝致します。准允を受けて、私はようやくスタートラインに立つ事が出来たのだと思って、感慨深いです。
私は日本基督教団の認可神学校である同志社大学神学部を出て、福島県の川谷教会で3年間信徒伝道者として奉仕しました。元々他教派の信徒で、補教師試験の受験資格である直近3年間の教団の信徒籍という条件を満たしていなかったので、私は信徒伝道者という立場で川谷教会にて奉仕することになったのです。
信徒伝道者の1年目、東北教区の総会で按手・准允式がありました。按手も准允も受けなかったですが、同じように新任教師として、皆さん迎え入れてくださりました。そして、皆さんが信徒伝道者という職務について興味津々になって質問されました。あまりサンプルが少ないからでしょうか。とても、印象に残っています。
私自身、この3年の間、教職位を持たない信徒なのに、教会では伝道師のような務めを果たすということに悩む事もありました。どのように、教会や教区・地区において、振舞えば良いか分からない事がありました。また、何の権威によって、自分は毎週のように礼拝で説教を語るのだろうかと葛藤しました。そうした経験の中で、万人が祭司であるというプロテスタンティズムの信仰を土台に据えて、これを大事にしながら歩んできました。その歩みの中で、尚、補教師試験を受験しようと思い、受験するに至りました。このようにして補教師になるまで、他人よりも準備の期間が長くなりましたが、今となっては、貴重な経験が出来たと感謝しています。
最後になりますが、今まで私を支えてくださった神様、教会、信仰の友に感謝します。伝道師になったから、何かが急に変わる訳ではないと思いますが、このスタートラインから、自分なりのペースで歩を進めて、成長していきたいと思っています。皆さん、どうぞよろしくお願い致します。コロナ禍にあっても、皆さんの健康が守られますように。
准允を受けて
滋賀地区 水口教会 松永 明夫
去る2020年5月26日火曜日に近江金田教会にて准允式に臨んだ。
准允式をこのコロナウイルス感染に揺れる状況の中で行うべきなのかどうかという問いもあり、教区内でも検討がなされた。准允式を真剣に考えている方々にとっては、ある意味無責任な人間に映ってしまうであろうが、初めての関西地方での生活、コロナウイルス感染リスクと隣り合わせで行う独自の保育業務に心を割くことで精一杯で式の意義について思いを巡らすことはできなかった。ただ、実際のところ行われた式自体の意義を私自身の中に見いだすことができた。よく言われる「けじめ、身が引き締まる思い」である。
水口教会にて、付属幼稚園での保育やNPO法人での学童保育、そして牧会をさせて頂いている。昨年の神学校での教会実習が切掛けで招聘を受けた。
人となりについて実習を通して少しは知って頂いていたつもりだが、それでも私を受け入れて下さった決断に敬意しかない。教会にとって招聘は期待するよりも覚悟を決めることである。
教師制度については、二重教職制という課題がある。制度の成立の経緯から不要ではという意見も多く見受けられる。私はこの課題について明確な軸を持てていない。今後学びを深めていく。ただ私のような神学の知識および経験が不足であったり、本を読む習慣がなかったりする人間には、これからの牧会生活において補教師試験準備程度での知識では立ち行かない。更には私自身が保育業務を掛け持ちしているという理由で、日常にかまけ知識の研鑽をなおざりである。教師試験という強制力がプラスに働くと考える。
私はある時期から自己否定感に苛まれていた。相談したのがたまたま牧師であった。恩師は牧師を装わず日常に根差したアドバイスを丁寧に下さっていたが、私はそれでも嘆いていた。ついに、「神から生かされていることを忘れてしまっている。」という指摘を受けた。私の教会生活が始まった。見えないところで声を上げられないでいる、私と同様な気持ちを抱えた仲間を思う時がある。私は自分だけ教会という居場所で呑気にしていてはいけないと思った。牧師となり、「大丈夫だよ。」と伝えることで、どれだけ生きた証になることかを考えた。聖書を批判的に読み、現場から聖書を問い返す作業を続け、イエス・キリストの生きざま、イエスさまが語られる(神の無条件の愛)(自立)(今を生きる)などを思索していく。
准允式に携わってくださった、すべての方々に感謝いたします。
教区 新任教師の紹介
神のなさる業の不思議
京都南部地区 上鳥羽教会 兼松 豊
聖名賛美
4月から上鳥羽教会に就任いたしました兼松豊と申します。就任早々コロナウイルス感染予防でイースター礼拝もなく、6月末まで礼拝中止となりました。自宅から教会へ通うのですが、礼拝中止ですので毎週誰もいない、どなたも来ない教会で一人で過ごすのは不思議な時でありました。そんな中、上鳥羽教会の歩みを、歴史を、資料を通して学び、京都丸太町教会からの流れ、歴代の牧師の事などを知る事ができました。牧師のお一人、渡辺泰造牧師が私の妻の叔父である事は知っておりましたが、上鳥羽教会の設立当初に関わっていたとは知らず、ビックリいたしました。「神のなさる業の不思議」「聖霊の導き」をあらためて覚えております。
最近は70歳まで定年を延長する、と言われる様になりましたが、実際に70を過ぎて教会で牧会の仕事を与えられるとは思いもよりませんでした。感謝です。昨年、古希を迎えました。恩師の深田未来生先生から「兼松は40半ばで牧師になったのだから、まあ75歳までは働きなさい」と大学院を出る時に言われた言葉が思い出されます。いつまで勤められるかは神様にお任せいたしましょう。
コロナの影響で皆様の教会の礼拝はいかがでしょうか?礼拝は再会(教会ですのであえて再会としました)されましたか?ZOOMでの礼拝でしょうか?メールで説教をお送りなさったりしておられますか?ネット環境でない方やご高齢の教会員の方々にはメッセージを封書でお届けなさっておられますか?本当に今まで経験したことのない形で共に祈り、メッセージをお届けし、握手もハグも出来ず、言葉の大事さ、心の大切さ、祈る事のできる喜びを学んでおります。
今年のクリスマス礼拝はどんな形で行えるのでしょうね?すべてを神がととのえてくださると信じております。
京都教区の皆様とご一緒させて頂き、あらためて感謝申し上げます。
主にありて
またお世話になります。
同志社大学キリスト教文化センター 森田 喜基
この度同志社大学キリスト教文化センター教員として着任いたしました森田喜基です。5年ぶりの京都教区です。伝道師時代を横浜・紅葉坂教会で3年間、教団海外派遣宣教師としてカリフォルニア・シカモア組合教会で4年間、アメリカにある日系社会及び日本語コミュニティーでの牧会に従事しました。帰国後、奈良育英中高、同志社国際学院初等部、そして2015年から5年間、神戸にあります頌栄短期大学に奉職いたしました。
このコロナ禍において、同志社大学も春学期はすべてネット配信による授業となり、キリスト教文化センターの働きの中心である「チャペル・アワー」も週1回、礼拝の映像または音声を配信する形式となりました。学生、特に新入生の精神的な負担は大きく、正にチャプレンの存在意義が問われている時でありつつも、自らの無力さも実感させられる、これは大切な時でもありました。秋学期は現状において週3回ずつ今出川、京田辺両校地でのチャペル・アワーを実施し、週2回ネット配信も併用いたします。もしご興味がおありでしたら「同志社大学キリスト教文化センター」でご検索下さい。小さな歩みですが、この京都教区にあって、牧師・新島襄の信仰の証であるキリスト教主義大学・同志社が、キリストの良い香りをこれからも醸し出していくことが出来るように、使命に生きたいと思います。改めまして、よろしくお願いいたします。
各個教会・伝道所の歩みから
安曇川伝道所に礼拝堂が与えられました
滋賀地区 安曇川伝道所 関 雅人
安曇川伝道所に、発足以来の念願でありました礼拝堂が建ち、7月26日の礼拝において献堂式を執行いたしました。建物の最初の使用がこの献堂礼拝であり、とても新鮮な思いで感謝をささげました。
安曇川伝道所は、1954年(昭和29年)、今西誠也牧師が郷里伝道を志して始められた集まりです。彼はまた、当時この地域に保育施設が一つもなかったので、保育園の必要を実感します。この願いに教区が全面協力、財団法人日本基督教団京都教区安曇川伝道会を発足させ安曇川はこぶね保育園が開園しました。この働きのために旗を振ったのが、洛北教会斉藤文明牧師でした。保育園開園が1957年、斎藤牧師は1989年に石井英道牧師が受け継ぐまでの約30年間、理事長でした。その間、1981年には今西牧師の死という大きな出来事もありましたし、当時はJR湖西線はまだ開通しておらず、江若鉄道が浜大津から今津まで走っている時代でしたので交通の便も悪く、その労苦がしのばれます。
安曇川伝道所は発足以来、牧師住居の一室で、保育園発足以降は保育室で礼拝を守ってまいりました。2013年に新しい園舎が建ち、伝道所の礼拝にとっても少しゆとりができましたが、園の行事と礼拝室の確保にはむつかしい時もあり、伝道所の礼拝堂が欲しいという発足以来の念願は、変わりません。しかしながら地方の小さな教会にとって、会堂を持ち維持するということには、経済的な問題だけでなくいろいろな困難があります。伝道所の総会で、あるいは信徒の懇談会で会堂建築の道を模索しているとき、園が小規模保育事業に携わることになり園舎を建てるという計画がおこり、抱き合わせのような形ではありますが礼拝堂を建てる決断をいたしました。
会堂は10m×7mの小さなものですが、教会員だけでなく保育園児たちが遊戯室ではなく礼拝堂で礼拝の時をもつという期待があり、新しい来会者もありで、将来への希望も与えられています。
紫野教会会堂建築について
京都南部地区 紫野教会 渡邊 大修
2018年4月、紫野教会・紫野幼稚園の新会堂・園舎を竣工し、その会堂・園舎から東に5軒離れたところにある教会集会所(旧久保政義牧師邸)も1年後の2019年5月に新集会所・牧師館として竣工しました。どちらも以前の建物を基礎からすべて撤去し全面新築したものです。以下に紫野教会の会堂建築についてごく簡単ですが記します。
2016年4月、私は紫野教会の招聘を受け着任しました。この招聘に際して最初に招聘委員の方に言われたのは「在任中に会堂建築をしてほしい」ということでした。期日の注文はありませんでしたが、それを聞いてからは「早期に紫野教会の会堂建築が成ること」が私の祈りの課題の一つとなりました。着任後、改めて会堂・園舎の様子を見て「これは早く改築をしなければならない」と強く感じました。紫野教会は幼稚園と一体化しており、大地震が起こった場合「毎日登園しているこどもたちの命を守ることができない」と痛感したからです。一刻の猶予もないと考え、着任して2週間後に行われた総会で「会堂建築についてすぐに話を進めるべきではないか」と教会員の皆さんに投げかけました。皆さん驚かれたようですが、その後の話は円滑に進みました。5月の役員会で会堂建築について議論し、6月には教会全体修養会で会堂建築について協議して建築委員会を立ち上げることになりました。それからはさらに急ピッチで話が進み、11月には「約1年半後の2018年3月に新会堂・園舎を完成させる」という方向で話を進めることになり、2016年12月と2017年1月には臨時教会総会を開き、「会堂園舎を全面改築すること」「紫野幼稚園を認定こども園化すること」が可決され、設計士や行政との折衝を推し進めました。そして2017年9月に旧会堂・園舎の撤去を行い、撤去後の10月から新築工事が始まって2018年3月31日に鉄骨造3階建ての新会堂・園舎が竣工され、翌日4月1日のイースターの日に最初の礼拝を守ることができたのです。建築計画が立ち上がって約1年半という文字通りドタバタの会堂・園舎建築でしたが、建築委員をはじめとする教会員・幼稚園教職員の祈りと奉仕、そして教会外の皆様の献金をはじめとするお支えによって、無事に事業を進めることができました。なお、2017年8月から2018年3月まで紫野幼稚園は園舎がありませんでしたが、平安教会の皆様のご厚意により、半年以上にわたって旧平安愛児園をお借りすることができ、滞りなく保育を行うことができました。この場を借りて、皆様のお支えと祈りに心より感謝いたします。
また、集会所は会堂園舎と竣工時期に約1年の違いがありますが、一部同時進行していました。これについても書き始めると止まらないほど多くのことがありましたが、紙幅の都合で割愛します。2019年5月、木造2階建ての集会所(1階部分)・牧師館(2階部分)が私たちの教会に与えられました。
以上のように考えられないほど早期に会堂・園舎・集会所・牧師館建築が成ったのは、10年以上前から教会内で会堂建築について断続的に議論がなされており、また建築献金も進んでいたからでした。教会員の皆さんは心から会堂建築を願い祈りながらも、決定的な要因がなかったため具体的に話を進めることができなかったのだと思います。しかし、2016年に神の定められた時機が到来し、神が教会員の祈りを聞き届けてくださり、きっかけを与え・導かれたからこそ、この事業をすべて推し進められたのだと確信するものです。
何よりも神の導きに心から感謝し、御名をほめ賛えます。
「日本基督教団 性差別問題連絡会 第16回全国会議in倉敷」参加報告
性差別問題特設委員会 委員・向島伝道所 岡嶋 千宙
2020年1月26日(日)から27日(月)まで、倉敷教会・倉敷キリスト会館を会場にして、日本基督教団性差別問題連絡会
第16回全国会議が開催された。「変わっていくことこそ〜性差別“主義”を問い続ける」をテーマにした今回の会議には、12教区1団体、計57名が参加し、京都教区からは7名が参加した。
初日の発題は、四国教区の三輪則子さん。ご自身も配偶者も教職でありながら、「女性である」という理由で、「教師」としての働きを担うことではなく、「牧師夫人」として男性牧師を支えることが求められ続けてきたという。性差別を生み出す要因として、教会/家制度/天皇制の結びつきを指摘しながら、傷ついた体験を一つ一つ絞り出すように、噛み締めて語る姿。三輪さんの語りは、参加者一人ひとりに、自分自身の経験と結びつく声を湧き上がらせてくれた。次のプログラム、二人一組の対話(ダイアッド)において、その時に生じた声をそれぞれのパートナーと共有し合ったところで一日目のプログラムが終了。
二日目は、7~8名の分団に別れてのワークが行われ、三輪さんの語り、それを受けての各自の声、また、前夜に聞いたダイアッドパートナーの思いを踏まえて、性差別に関する教会の現状と課題が話し合われた。分団後の全体シェアでは、知らない者同士が集まりながらも、なお一つの“疑似”家族ができ上がり、その状態が教会の「当然の形」として維持されることの不条理が指摘され、「なぜ教会と家とを切り離すことが難しいのか」、「教会とは、はみ出たところの声を汲み取り、またその声と共に生きていくものではないか」、「そもそも教会とは何なのか」などの発言がなされた。
三輪さん個人の語りが、参加者一人ひとりの声と結びつき、ダイアッドを経て、その声が二人の声になり、分団でさらに複数の声になっていく。声と声とが共鳴し、それぞれの心の内を引き出し、確認し合っていくプロセス。強要されるわけではないその環境において、わたしたち参加者は繕うことなく、大いに語り合うことができた。集うことの意味、語り合うことの意味は、確かにある。
半年以上が過ぎて、今、改めて振り返る。教会とは、人々がある共通の意識のもとで空間/時間を共有する一つの形でしかないと思う。形でしかないのだから、その構成員が変われば、当然に、全体のあり方も変わってくる。教会を構成する「人」は、一人ひとりが異なっている。見かけも、内面も、考え方も。性についても然り。ある教会に20人いるとすると、20通りの性があってもおかしくない。別の教会に10人いたとすれば、同じように10通りの性があり得る。そして、二つの教会を比べた時、20人の教会が全体として放つ性の色は、10人の教会が放つそれとは異なっていて当然である。
それなのに、貫かれてきた。性は二つしかなく、一方はこうで、他方はああだ、という考え方。性が二つに分断され、分断されたそれぞれの性に「正しいあり方」が課せられる。一方は外に出て働き、他方は内で守る。一方は前に立ち、他方は後ろで支える。分断された性のもとで、各人が生き方を強要され、自分らしくあることを否定される。それが普通、正常であるとされ、異議を唱えるものは例外、異常とされる。いつのまにか、たとえ分断された性のあり方のもとで犠牲を強いられたとしても、その状態が当たり前という感覚になってしまう。「わたしが我慢すれば」。「わざわざ声をあげなくたって」。「これまでもそうだったのだから」。
否。教会は流動的な人間関係が可能となる場所である。すでに、流動的なのである。その教会が、固定化されてしまうのなら、流動的な交わりが行き詰まり、血流が悪くなり、滞るのなら、変えるべきであろう。変わるべきであろう。
わたしたちは、変われる。変えられる。自分自身を。教会を。教会が描く世界の風景を。一人ひとり、それぞれに、自分自身の性を隠すことなく、その輝きを自由に放ちながら共に生きていくことができる。そんな教会の姿をわたしたち自身がつくり出すことができる。
変わる。変われる。変わっていくことこそ。だから。これからも、問い続けよう。
コロナ禍での教区運営の報告
京都教区総会議長・京北教会 今井 牧夫
京都教区2020年度定期総会を、コロナ禍での常置委員会決定により「書面開催」としました。議決権行使書の締切を5月13日として正議員141名中111名の行使書で総会成立し、予算案など全8議案を可決しました。議決による准允・按手式を、5月18日京都と19日滋賀での公開礼拝の中で実施し、受領者の所信表明は教区ニュース掲載に代えました(今号掲載)。総会後は第1回常置委員会を5月書面開催後、最低限の事務決定のみを行う常任常置委員会を6月と8月に開催しました。そして9月に第2回常置委員会を開催して、各個教会・伝道所の「2020年度教区負担金の1割削減」を決定し、それと共に各個教会・伝道所へのコロナ問題アンケート(回答10月末日締切)の実施を決定しました。
以上につき、教区の皆様のご協力に感謝します。いつも、主にある日常を皆様が歩めますように!
編集後記
「これからどうなるのだろう…。」と、世界中が見えない不安に襲われた数ヶ月前のことを思い返す。しかし、何もかも閉ざされてしまったかのように感じていた中にも、希望の灯火が消えることはなかった。「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」という言葉は、見えないウィルスと向き合う私たちの命に、癒しと励ましを与えるワクチンとなっている。そして、教区ニュースに寄せられた一つ一つの言葉にも、見えずとも確かに存在するキリストが、私たちのために語りかけてくれているメッセージがある。この苦難は希望へと繋がっていることを覚え、苦難と喜びを共に祈り分かち合う思いを大切にしながら、今できることに挑戦し続ける歩みをつづけていきたいと願う。(U.T)