日本キリスト教団 京都教区ニュース 総会期 第1号 発行2019年7月31日
─滋賀・両丹・京都なんぶ 3地区75教会・伝道所と地域の“宣教”のために─
発行人 今井まきお 編集人 内山ともなり
今回の教区ニュースの目次
記事1 京都教区定期総会を終えて 教区議長 今井牧夫
教区総会での選挙結果報告
記事2 教区新任教師の自己紹介文 5名
記事3 じゅんいん・あんしゅを受けた教師の自己紹介文 2名
記事4 第15回性差別問題連絡会全国会議(於 京滋)の報告 2名
記事5 今教区総会で決議した声明文2点
その1 大嘗祭に関して その2 関西生コン労働組合弾圧に関して
記事6 2019年度京都教区各部・委員会・特設委員会・小委員会の名簿
記事7 寄稿 デナリオンコーヒーの由来について 志賀 勉(デナリオン献金推進委員)
記事1 京都教区 定期総会を終えて 京都教区総会議長・京北教会 今井まきお
第83回(合同後第53回)京都教区定期総会
2019年5月13〜14日 於 京都丸太町教会
「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。」
これは、開会礼拝の聖書箇所(マルコ6:41、42)です。大山修司教師(膳所教会)が、「主が与えてくださった糧」と題して力強く説教されました。私たちが目指す教区の姿とは、この箇所が私たちのところに、主イエスの御心として真実に到来することだと思います。
総会では2日間で30議案を扱い、選挙や決算・予算以外、主に次の議案を可決しました。
・第16号「クラッパードイン移管の受け皿となる法人選択に関する件」?
→アメリカの宣教団体所有の元宣教師館(名称:クラッパードイン)の土地建物を、京都教区とバザールカフェの側に将来的に移管するため、教区が関わる法人の設立準備をします。
・第20号「京都教区部落解放センター規約制定と教区部落差別問題特設委員会の教区部落解放センター運営特設委員会への改変に関する件」
→1992年教区総会で設置した教区の部落解放センター(近江平安教会内)の位置付けを確かにし、活動をさらに充実させます。
・第21号「教区改革原案をもとに教区機構・財政改革を検討する件」
→各教会の教会員・財政が減少する現況のなかで、今後の各個教会・教区の宣教の持続発展のための教区機構・財政改革の検討を開始します。
・建議により声明2件(後掲)を発出しました。
1日目夕方に協議会1を行い、今総会への教団問安使をお断りして(16年連続)要請陪席者として迎えた石橋秀雄教団議長とともに、教団機構改革など様々な課題を協議しましたが、教団議長の応答は問いに噛み合わず残念でした。
協議会2では「教区改革原案」につき改革案作成者が「改革は数字合わせや委員会つぶしでなく宣教のため」と発題後に、財務部委員が発題して「私は定年退職し60歳を過ぎて受洗した。『無縁社会』と言われる時代の中で、キリストの教会は社会の中に『無縁の縁』を作り出せる存在と感じる」と語り、その言葉に強く励まされたとの声が会場から聴かれました。
教区とは、教会の恵みを再確認し、宣教の志を共に育む場でもあります。
以上をご報告し、教区に連なるすべての皆様の2019年度の宣教に主の恵みを祈ります。
教区総会での選挙結果報告
総会三役 議長 今井牧夫(京北) 副議長 横田明典(近江金田)書記 内山友也(京都葵)
常置委員(信徒) 谷口ひとみ(八幡ぶどうの木)大下真弓(京都葵)奥野カネコ(膳所)
鳥井新平(近江平安) 東 晃(城陽) 志賀 勉(紫野) 菅 恒敏(京都)
常置委員(教師) 入 治彦(京都) 横田法子(巡回) 新井 純(世光) 井上勇一(洛南)
深見祥弘(近江八幡) 李 相勁(福知山) 月下星志(上鳥羽)
付記 京都教区規則第二八条(二)による推薦常置委員以下3名(総会後の常置委員会で決定)。
(信徒)押本年眞(丹波新生) 中井正子(堅田)
(教師) 浅野献一(室町)
記事2 教区新任教師の紹介
記事2の1 タイトル 導かれて 桂教会 熊谷
沙蘭
教会生まれ、教会育ちの私が牧師になることにはたくさんの葛藤がありました。しかし、いろいろな経験と出会いの中で牧会の道に導かれ、京都丸太町教会・紫野教会での担任教師として合計7年間過ごしました。この7年間は本当に多くの方々のお支えがあっての牧師としての歩みでした。
特にこの7年間の中では2人の息子を出産し、現在も育児に追われています。出産・育児と牧会の務めの両立は予想を超えて難しく、どちらにおいても中途半端にしかできないことに苛立ち、自分が牧師として働きたいと思うことは、傲慢なことだったのではないかと思うことがたくさんありました。それまで一人の人間として身軽に動いてきたのに、子どもが生まれることによって、その身軽さはゼロに等しくなり、いろいろな方に助けていただくことが多くなりました。誰かに支えてもらわなければ、その日働くことさえできないという現実は中々私には受け止められないものだったのです。
しかしそのことによって、欠けのある器である自分、そんな自分に向けられている支えてくださる方々の祈りや支えを強く意識し、そのことを通して現れるイエス・キリストの姿を感じることができ、私の信仰は強くされました。こんな自分であっても、「教会のために何かできるかもしれない」という思いを持ち続けられたのは、今までの教会生活の中で交わりを持った方々とその中におられたイエス・キリストのおかげです。そして、その交わりと祈りに支えられ、今年度から桂教会の主任牧師として働くこととなりました。4月から始まりました桂教会の生活は、私だけでなく、会社員の夫も2人の息子も温かく迎え入れていただき、恵みと愛に溢れた日々が続いています。
これからの道のりにはきっと様々なことが起こるでしょう。でも、これまでの歩みの中で与えられてきた支えや恵みが私を奮い立たせてくれます。そして桂教会のみなさんとの交わりと合わせる祈りによって様々な困難を乗り越えていくことができると確信しています。
これまでの歩みは「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。」(哀歌3:22〜23) この御言葉通りの日々でした。そしてこれからもそのような日々になることでしょう。これまでの恵みと支え、またこれからの恵みと支えに感謝する心を忘れず歩んで参りたいと思います。
記事2の2 タイトル 赴任して
今津教会 桑原 博文
今年度から今津教会に赴任しました桑原です。京都教区は丹陽教会に次いで2度目となります。
同志社を1984年に卒業後、いくつかの仕事を経て天満教会の伝道師として1990年に赴任、92年から大阪四貫島教会、その後、丹陽教会に4年間主任担任教師としておりました。
室蘭知利別教会に3年いましたが、体調がおかしくなって愛媛の宇和島信愛教会(伊予吉田教会と兼牧)をしておりましたが42歳で一年間お休みをして九州大学病院に入院したおりに現在の持病である特発性アルドステロン症(血圧の薬を飲んでも極端に上がったり下がったりするので、そんな方はお医者さんにご相談ください)が43歳で見つかりました。
薬の調整などをしながら糸満教会・ゴスペル幼稚園で働いていたのですが、極端に血圧が下がり年に一度は倒れるを繰り返していましたが、通園バスの運転時に血圧が落ちたこともあり、子供達への危険と自分自身へのストレスをなくすため辞任をしました。5年ほど無任所でありましたが宮崎の高鍋教会に移り5年間高鍋におりました。教会の経営状況なども含め辞任が決まりましたが、(どっかで間違えたのかも知れませんが)それからの一年間は熊本草葉町教会の協力牧師としてお世話になりました。
熊本草葉町教会はある意味で高鍋教会・宮崎教会の兄弟教会ですし、縁があったのかもしれません。熊本草葉町教会には大学時代の同級生もいて、そんなことから教会員の方々からかわいがられましたし、(無責任でよい)協力牧師として楽しく過ごすことができました。
元々1年間の約束であったので、熊本草葉町教会の主任者斡旋と共にどこかの教会に赴任できたらと相談しておりましたら、今回の今津教会を紹介されたという段取りです。
ほぼ天満教会と熊本草葉町教会以外は高齢者小規模教会であったものですからなんとなく元に戻った感じです。私の桑原は父親が徳島出身での桑原ですが、高島市にも沢山の桑原さんがいるのにはびっくりです。そんなこんなで今津教会と今津幼稚園でこれから楽しかったら良いな〜と願っています。
幼稚園は園児が3名だけの幼稚園として復活しました。教区地区の幼稚園関係の方々にはまだまだご心配をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
記事2の3 タイトル 「おかあさんは、おちごと!」
京都丸太町教会 藤浪 敦子
この4月より伝道師時代にもお世話になった京都丸太町教会に、もう一度、副牧師として仕える機会が与えられましたことを心から感謝しています。
私は、2006年に京都丸太町教会を辞したあと、日本基督教団海外派遣宣教師としてアメリカに渡り、カリフォルニア州サンフランシスコにあるパイン合同メソジスト教会で日本語部の牧師として4年半働きました。
2010年に帰国してからは、3人の子どもが与えられ育児中心の生活を送っていましたが、この度、8年ぶりに教会教師へ復帰となりました。日曜日は夫に子どもたちのお世話を託し、朝礼拝から夕礼拝までほぼ一日を教会ですごしています。また、平日のうち3日間は、下の子ども2人を幼稚園に送ってからお迎えまでの時間、教会で働く生活を送っています。
最近、おしゃべりが上手になってきた娘は、「お兄ちゃんは?」「お父さんは?」と聞くと、それぞれがいる場所を教えてくれるので、よく質問して遊ぶのですが、私が復帰してからのある日、こんなやりとりがありました。私「上のお兄ちゃんは?」、娘「がっこ!(学校)」。私「下のお兄ちゃんは?」、娘「よーちえん!(幼稚園)」。私「お父さんは?」、娘「かいちゃ!(会社)」。私「じゃあ、お母さんは?」、娘「おちごとー!(お仕事)」。「お母さんは、教会だよ。教会で働いているんだよ」と私が言うと、娘は「ちがう!おかあさんは、お・ち・ご・と!」と答えます。「教会」という言葉も知っているはずなのですが、何度言っても、娘は「おかあさんは、おちごと!」と答えます。おそらく深い意図は娘にないと思うのですが、このやりとりを繰り返しながら、「おちごと、おしごと、お仕事。ああ、お『仕事』か!」と、娘の何気ない「おちごと(仕事)」という言葉から、私は今、「教会で働いている」のではなく、「仕えている」んだな、教会に仕え、神様に仕えているのだということを、改めて確認させられる思いがしました。
「おかあさんは、おちごと!」と言い続ける下の娘も、まだ2歳ということもあり、教会でもパートタイムという形での働きを受け入れていただいている状況です。時間的に、なかなか教区の働きに関わることはできないですが、皆様とのつながりに、こうして加えていただけることを光栄に思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。
記事2の4 タイトル 庭にざくろの木があって
京都御幸町教会 村島 義也
昨夏、京都御幸町教会に着任いたしました。昨年度は不慣れの上、創立120周年にあたっての行事もあり、皆様にちゃんとご挨拶もせぬまま失礼いたしました。
昨年9月末に入治彦議長(当時)の司式により就任式を執行して頂きました。台風間近に迫る中でのこととなり、交通機関に影響が生じ、出席をご予定下さった多くの方々がお越しになれなくなる中、無理を押してご臨席・祝福を賜りました近隣教会の皆様方には特に改めて御礼申し上げます。
前任地の仙台で体を壊し、療養に数年を要しましたが、ようやく働けるようになりました。教会の庭に「区民の誇りの木」に選定されているザクロの木があって、今年も繁りたくさん花を咲かせています。以前、すっかり枯れかかったことがあったそうで、教会の方々は「復活の木」とも呼んでいます。復活の木の側で、新たに生かされる日々を感謝しています。
京都教区の皆様、以後よろしくお交わり、お導きの程、御願い申し上げます。
記事2の5 タイトル 着任のご挨拶
東舞鶴教会 山下 瑞音
この度、舞鶴市にあります東舞鶴教会に遣わされました山下瑞音と申します。私は神奈川県の大磯町というところの出身で、今回生まれて初めて関東を離れ関西の地へに来ることになりました。特に舞鶴は日本海に面しているため、同じ海の町でも大磯とは風景が違うことに驚かされています。
私は16歳の時はじめて教会に足を踏み入れました。最初は礼拝に通い始めた母を連れ戻そうとして教会に行っていたのですが、一年も経たないうちに私自身が神さまに捕らえられ、数年後洗礼を受け今に至っています。
洗礼を受けたのは、単立の湘南見附キリスト教会という小さな教会でしたが、その後日本基督教団の中でも連合長老会に属する小田原十字町教会に転入会し、東京神学大学へと献身したあと、東京の富士見町教会で伝道師としてお仕えし、東舞鶴教会へとやってまいりました。
舞鶴はとても風光明媚な街で、夕暮れに染まる舞鶴湾や、霞たなびく雨の日の青葉山は、息をのむほどの絶景です。私はもともと都会はあまり得意ではなく、自然の中での穏やかな暮らしが好きなため、舞鶴に来ることが出来、とても喜んでいます。
また東舞鶴教会には朝日幼稚園という付属施設があり、園長として子どもたちと遊びながら過ごしています。子どもたちに御言葉を伝えることが出来るのは、本当に素晴らしい恵みであると感じる毎日です。
東舞鶴教会での私の目標は、まず今現在教会にかかわっている方々へ福音を伝えることです。先に述べました朝日幼稚園の先生方、園児たちやその保護者の皆さま、ボランティアや臨時職員としてかかわってくださっている方々に神さまの恵みの素晴らしさを伝え、ともに礼拝を献げられることが、伝道の第一歩であると思っています。
さらに、私自身牧師としてまた幼稚園の園長として、研鑽を積むことが出来ればといつも願っています。子どもたちと接する中で、子どもたちから教わることの多さに驚く毎日です。同様に教会員の皆さまにたくさんのことを教わりながら、東舞鶴教会のためにお仕えすることが出来ればと願っています。
これから教区や地区の諸教会の皆さまと、よいお交わりのときが与えられますことを心から楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。
記事3 じゅんいん・あんしゅを受けた教師の紹介
記事3の1 タイトル じゅんいんを受けて
石山教会 須賀 舞
この度、京都教区総会にて准允を受けましたこと、主に感謝いたします。
4月より、石山教会にて伝道師としての歩みがゆるされ、忙しくも多くの恵みを受けつつ日々過ごしております。滋賀地区・京都教区の皆様にも、暖かく迎え入れていただき、心から嬉しく思っております。
思えば、約3年前、伝道者としての召命を受け、Cコースでの教師検定試験を受験する決意をし、准允を受けるに至るまで本当にたくさんのことがありました。何度も挫けそうになりました。心だけでなく肉体的にも限界すれすれの時もありました。しかし同時に、多くの学びが与えられ本当に祝福された時でもありました。多くの迷いの中で主の御心を祈り求め、その度に自らが受けた召命感を確かにさせていただく日々だったと思います。
准允を受けるにあたって、准允とは、まず、礼拝で説教をすることが許されるということだと所属教会の牧師から教えられました。私は現在、月一度の礼拝説教を任されており、ヨハネによる福音書を1章1節から順に読んでいます。真剣な眼差しで一言も聴き漏らすまいと座っておられる方々を前にして、聖書の御言葉を説き明かし、余すところなく宣べ伝えることが、どれほど重い責務であるかを痛感する日々です。
子育て中ですので(4歳と0歳の娘たちがいます)、時間をやりくりしながらの説教準備は、時に、精神的にも体力的にもキツいと思うことがあります。しかし、説教を準備することは大変なことばかりではありません。御言葉とじっくり向き合う中で、毎日、御言葉に慰められ、御言葉に奮い立たされ、御言葉によって生かされているということを、心から実感することができるのです。このような大きな恵みを、子育て中の今、受けられるということは、本当に神様の祝福だと思います。最初は、神様はなぜ今この私を選ばれたんだろう?
と思うことばかりでした。そのような私の心を神様はいつも砕き、伝道者の器として造り変えてくださり、信仰者として、また伝道者としての喜びをたくさん与えてくださっているのです。
これからも神様の御業に期待しつつ、伝道者としての日々を駆け抜けていきたいと思います。京都教区の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
記事3の2 タイトル 出会いを大切に
長浜教会 井上 正道
去る、5月14日(火)、京都丸太町教会にて按手礼を受けました。私の前任地は神戸教会で3年間担任教師として務めを果たしました。そして、今年の4月から新たに長浜教会へと赴任をいたしました。
私の生まれは、岩手県水沢市(現奥州市)で、京都で育ちました。生まれた時より教会で育ち、教会員の人たちから常に支えられ、甘やかされて育ちました。そのようにして周りの人に支えられながら私も大人に成長して、今こうして京都の地で按手を授かることが出来ました。私は、今回按手礼を受けて私自身一つ思い返したことがあります。それは、私は今までにどれだけの人々と出会い、そして支えられてここまで成長できたのだろうかとふっと思い返したのです。私はこれまでに、様々な場所で計り知れない人との出会いがあり、そして数えきれないほどの支えを受けてここまで成長することができたのだと按手礼式を迎えて思い返していたのです。それと、同時に私はこれから一人の教師としてどのような教師として成長をしていくかこれからの目標も持たなければいけないと感じました。
今までは常に誰かに支えられていました。担任教師として教会に仕えていても、主任牧師から指示を受けて教会の業務を果たし、教師としての経験を積んでいました。しかし、これからはそうはいきません。今まで通り誰かに見守られ、常に支えられ成長していくのではなく、これからは一人の教師として独り立ちしていかなくてはいけない。そして、独り立ちしていく中で、何か目標に向かって教師生活を歩まなければならないと按手礼を受けて過去を思い返すと同時にこれからの未来を想像したのです。
私は、神戸の地から新たに滋賀の地に赴任をして、「地元に生きる教師」として働きをなしていきたいと願っています。現在、私は滋賀という新たな土地で生活をし、新たな発見が沢山あり、いろいろな人々との交わりが与えられています。私自身初めて滋賀に来て夜に、家の前に「蛍」が飛んでいることに衝撃を受けました。私は、この自然豊かな土地で新たに与えられている発見と出会いをこれからも大切にしていきたいと思っています。そして、この長浜の地に建てられた教会の意味と向き合いながら一人の教師として教会に仕えていきたいと願っています。今までは与えられ、支えられていく生活でしたが、これからは与えていける人に成長したい。そして、教会員の人々と共に歩み、共に支えあいながら礼拝を守り、そして教会と共に常に教師として成長していきたいと強く願っています。まだまだ未熟な私ですがどうぞこれからもよろしくお願いします。
記事4 タイトル 日本基督教団(有志) 性差別問題連絡会
第15回全国会議in京滋
2019年1月27〜28日、関西セミナーハウスを会場に現地実行委員会主催で「聖書を読み直す〜パウロ
その光と影」をテーマに全国から49名(京都教区20名)参加で開催。3名の発題を収録した報告書を教区内教会・伝道所に配布済みです。お求めの方は教区性差別問題特設委員会へ。(残部僅少)
報告1 タイトル「誰が当事者?」
京都教会 西原 ももこ
日本基督教団性差別問題連絡会の全国会議に初めて参加いたしました。初めての全国会議参加で、なおかつ実行委員会の委員メンバーとして皆さんをお迎えする側だったので、良い緊張感の中で当日を迎えることができました。私は京都教区の性差別問題特設問題委員会に入って約2年が経ちますが、この2年の間、様々な人の発題を聞くなかで教団内には多くの性差別問題がある現状を知ることができました。今回の全国会議では発足当時からこの会議に関わっておられる方も参加されるということで、教区を超えての出会いが与えられたことに感謝いたします。
さて、京都教区では性差別問題特設委員会の発足当初から「聖書を読み直す会」の活動をしていますが、2017年度からは「女性と聖書」という連続講座で女性の教職・信徒に発題をしていただきました。今回の全国会議でも「聖書を読み直す〜パウロ その光と影〜」のテーマで共に考える機会をもつことができました。その意味でとても〝京都教区らしさ〟が出ていると感じました。
僭越ながら、全国会議では私も発題する機会を与えられました。自身の修士論文のテーマでもあります、「キリスト教主義学校とセクシュアル・マイノリティ」という題で発題させていただきました。私はその発題の中で、「セクシュアル・マイノリティの当事者ではないがこのテーマについて話します……」という発言をしました。発題の後、質疑応答がなされたとき、ある方が「発題者(西原)にとって、当事者性とは何ですか?(当事者とは誰ですか?)」というような質問をしてくださいました。以前、セクシュアル・マイノリティの友人からこんなことを言われました。「あなたはセクシュアル・マイノリティの当事者ではないのに、なぜこのような研究をしているのか」と。私はこのことを言われるまで、「自分はセクシュアル・マイノリティのことに関わる一人の“当事者”である」と認識していたので、そう思わない人も中にはいるのだなと思い、それからは当事者ではない、と言うようにしてきました。そのため、今回このような質疑応答をしてくださった時、初めて自分の思いの丈を打ち明けることができました。セクシュアル・マイノリティの当事者ではないけれど、このことに関わる一人として、“当事者として”自覚しても良いのだと思えるようになりました。
性差別の問題に限らず差別問題について考えていくには、一人ひとりがどれだけその事柄を自分のこととして捉えられるかが重要であると思います。今回の全国会議ではそのことを思い起こすことができ、実りある時間を過ごすことができたことに深く感謝いたします。今後も教区のみならず教区の枠を超えて交わりを深めていきたいです。
報告2 タイトル「うごめき、圧力」─「あらがい、命」
向島伝道所 岡嶋 ちひろ
聖書の周りを蠢く不気味なモノたち。いや、よく見ると、聖書の「周り」だけではない。聖書自体がその不気味なモノたちを産み出す巣となっている。
神を知ることで、自らの生と命を豊かなものにしようと願い聖書に近づく人間は、知らず知らずのうちに、その蠢くモノたちの犠牲になっていく。そして気がつくと、意図していた場所からずっと遠く離れた場所へ置き去りにされる。
遠ざけられるだけならまだましだろう。遠ざけられた場所が居心地の良いところであれば、結果オーライで、そのところで平穏無事に過ごしていけばいいのだから。あるいは、神を信じないとか、信じたとしても聖書が神のことを伝えているとは思えないというのであれば、聖書と人間との関係がどうこうという話は、気にかける必要さえない。
だけど、残念ながら、「遠ざける」だけではない。蠢くモノたちは、時に、個人の命を蝕む。蠢きが膨張すると、それ自体が自己目的化され、自己保全が最大の存在理由となった蠢きは、「聖書」、「神」という単語を巧みに用いながら、目指す方向へ進む力を一層強めていく。強大な圧力。抗しがたい流れ。そして、神を信じるかどうか、聖書を大切にするかどうかに関わらず、あらゆる人間をその流れの渦に巻き込んでいく。流れに乗ることのできない(あるいは乗らない)人間たちは「悪」のレッテルを貼られ、排除され、苦しめられ、生きる場を失い、死に追いやられる。生と命を豊かなものにしようと願い聖書に近づいた人間たちは、蠢きの圧力に屈し、自らの命を削ることになる。
今回の全国会議では、特にパウロ書簡に焦点を当てながら、四人の発題者それぞれが、この「不気味な蠢き」を自らの言葉で指摘してくれた。さらに、ただ指摘してくれただけではなく、強大な蠢きの前であっても、その圧力に屈することなく、抵抗していく姿勢を見せてくれたのである。そして、四人の発題を受けて、フロアからも、不気味な蠢きの流れに飲まれそうになった自らの経験が語られ、飲まれそうになりながらも必死でその蠢きに抗するために格闘を続けているという報告がなされた。
不気味な蠢きに対して、どう抗っていくのか。実を言うと、私は、「何かおかしい」と感じながらも、蠢きの流れに身を委ね、辿り着いた場所で平穏無事に過ごしていた一人である。もしかしたらそのことで、誰かを傷つけ、誰かの命を蝕むことに加担していたのかもしれない。そんな私だから、抵抗のための道筋が見えているわけではない。そもそも、蠢きの正体が一体何なのか、それすら分かっていない。
それでも、一筋の光が差し込んでいるのを感じる。会議後半、フロアを交えたディスカッションが行われた際、一人の参加者から、「どんな形でもいい、差別的発言や違和感を覚える発言に対して、『何かおかしい』という思いを抱いた時には、たとえ少数派であっても、たとえきれいな言葉や文章にできないとしても、その思いを表明していくことが大事なのではないか」、という提案がなされた。これこそ、蠢きの圧力へ抵抗していくための第一歩なのだろう。不気味な蠢きから自由になった聖書の読み。それが可能になるために必要なのは、私たち一人ひとりが「何かおかしい」という感覚を忘れないことであり、そして、その感覚を表明し共有していくことだと思う。そのための場所としての全国会議。私はこれからも参加し続ける。
記事5 タイトル 今教区総会で可決した声明2点
声明その1
タイトル
天皇の代替わりに伴う諸儀式及び大嘗祭についての日本キリスト教団京都教区の声明
日本キリスト教団京都教区第83回(合同後第53回)定期教区総会は、
1.この度の天皇の代替わりに伴う諸儀式について、それが法的根拠も不確かなまま、また「国民の総意」に諮る機会を準備することもなく、ある儀式を「国事」とし、ある儀式を「公的行為」と名づけて強行するあり方に強く抗議する。
2.特に「天皇の神格化」を実現すると言われる「皇室祭祀」による宗教儀式(大嘗祭)を、「公的行為」として国が深く関与し莫大な公費を支出することは、憲法第20条の「政教分離」原則に違反するだけでなく、日本国憲法の基本原則(主権在民、基本的人権、平等主義・平和主義)が示す精神から大きく逸脱するものであり、強く反対する。
理 由
1.この度の天皇代替わりは、明仁天皇の2016年8月8日の「おことば」に端を発し、生前退位が「皇室典範」の特例法を急造することによって行われるに至ったものである。日本国憲法にも戦後の「皇室典範」にも生前退位の規定はない。天皇は、自らの高齢化と健康上の理由により、「象徴天皇としての行為」が困難になったと述べ、その窮状を訴えた。しかし、そもそも「象徴天皇としての行為」そのものは、憲法第7条、第8条が定める天皇の「国事行為」を超えるものであり、戦後の歴代政権は、地方巡幸をはじめ、「国体・植樹祭・海づくり大会」への出席、「皇室外交」、「慰霊の旅」、「被災地訪問」などすべてを「公的行為」と名づけて、当たり前のように行ってきた。この拡大された行為が、高齢化した天皇にとって困難だという理由がどこまで正当なのかは議論がある。憲法改定から70余年、主権者である国民による「象徴天皇制」のあり方をめぐる討議の機会は終始、奪われてきた。従って天皇の代替わりに伴う儀式についても、国会でもあらかじめ合意を申し合わせ、何の討議もなしに全会一致の装いで、生前退位とそれに伴う諸儀式が、現政権の思うがままに進行することになっている。
2.この度の代替わりに伴う諸儀式は、先の「昭和」から「平成」への代替わりをほぼそのまま踏襲して行われている。しかし、この先の代替わりは戦後廃止された「登極礼」という神格化された天皇制の時代に制定されたものである(1909年、明治42年公布)。
現憲法が「象徴天皇制」を規定しているかぎり、天皇の交替はあり得るが、その際の現憲法の基本精神を生かした交替儀式のあり方が国会でも、政権内でも創意工夫された話は聞いたことがない。
私達は、こうした現憲法の基本精神を一顧だにすることなく、戦中の交替儀式を、あえて復活させようとする逆戻りの天皇制のあり方に強く抗議するものである。
3.「大嘗祭」という「天皇が神になる儀式」と誰もが説明する「皇室祭祀」の儀式については、先の「昭和」の終りに際して、全国の宗教集団や市民グループ(特に靖国の違憲訴訟を提起するグループ)の反対声明は当時、無数に発表されている。
特にキリスト教関係の声明は、プロテスタント各派、カトリック(正平協など)、福音派の連合体など『キリスト教と天皇制〜一九九○年 教会の闘いの記録』(1991年3月、NCC大嘗祭問題署名センター編)に60件近い声明が記録され、その注には、これは誌面の都合で、ごく限られた「声明」にすぎないと述べている。
日本キリスト教団は「大嘗祭についての声明」を代替わりの2年前の1986年11月に発し、反対の理由として①「政教分離原則」に違反すること、②天皇制強化をもたらすこと、③天皇の神格化のいかなる試みをも拒否する、としている。
4.こうした天皇代替わりの騒ぎは、現在この国が直面する政治的・社会的・経済的な混迷する諸問題を覆い隠し、マスコミもその報道のあるべき使命を忘れて、皇室報道に終始するあり方は天皇制の強化を結果し、現政権の国家主義優先の政治を無批判に許すことになる。
私たちは以上のような思いから代替わりに際し、上記の抗議と反対の意志を深い憂慮をもって明らかにする。
2019年5月14日 日本基督教団 京都教区 第83回(合同後第53回)定期教区総会
声明その2
タイトル 滋賀県警・大阪府警による全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部に対する刑事弾圧への抗議声明
滋賀県警及び大阪府警は、2018年8月以降、
強要未遂や威力業務妨害等の被疑事実で、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下「関生支部」)の執行委員や組合員らを逮捕しました。以降今日までに延べ64人の組合員を微罪(デッチ上げ容疑)で逮捕・拘留し、うち43名が起訴され、大津地裁と大阪地裁で係属しています。
発端は、昨年7月に滋賀県警組織犯罪対策課が滋賀県内の生コン協同組合の理事らを逮捕したことでした。容疑は、共同販売を行う協同組合がゼネコンに対し、協同組合に加入していない業者(員外社)からではなく、協同組合から生コンを買うよう働きかけたことが恐喝未遂にあたる、という言い掛かりともいえる容疑でした。以来、同じ容疑で関生支部の執行委員4名が逮捕されました。次いで大阪府警警備課が、2017年12月に当該労組が生コン会社や運送会社に対して行ったストライキが威力業務妨害にあたるとして、組合員ら計二八名を順次逮捕・再逮捕しました。さらに滋賀県警は、上記恐喝未遂と同じ容疑で、あるいは威力業務妨害容疑で、建設現場において法令遵守啓蒙活動を行った組合員ら、またゼネコンの会社周辺でビラまき活動を行った組合員ら計24名を順次逮捕・再逮捕しました。のみならず滋賀県警は今後も逮捕があり得る旨公言し、本年4月11日には拘留中の武委員長・湯川副委員長を「恐喝」容疑で再逮捕しました。京都府警も任意・強制の捜査を続けています。
滋賀県警刑事部組織犯罪対策課が労働争議に関わる事件を担当しているのは異例・異様です。思想弾圧に通じるものです。たとえば、約30分間、数枚のチラシを路上で撒いただけの組合員を逮捕したり、取り調べ中に「関生と手を切れ」と露骨に不当労働行為をしたり、家庭にまで押しかけて「連れ合いに労組脱退せよと言え」と家族に脅迫・強要しています。さらには、警察署への抗議宣伝車のガサ入れなど、異常な弾圧があります。また、一昨年の容疑で昨年11月21日に逮捕・拘留された連帯労組委員長など数名は今日に至るまで九ヶ月にわたり不当拘留されています。警察権力が労働運動を弾圧するなどあってはならないことです。にもかかわらず滋賀の検察は今後も追起訴するとうそぶいていると聞きます。
国家権力による労働組合に対する大量かつ執拗な刑事弾圧は類を見ない暴挙と言わざるを得ません。これは労働者と労働組合に対して労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)を保障した日本国憲法第28条を踏みにじるものです。
私たち、第83回(合同後第53回)日本基督教団京都教区定期総会参加者は、過去の忌まわしい歴史を繰り返さないため、また「手遅れ」にならないため、何よりも不当拘束されている労働者とその家族のために、総会の総意として、滋賀県警・大阪府警の弾圧に満腔の怒りをこめて強く抗議するとともに、労働運動に対する弾圧を速やかにやめ、関生支部組合員らの即時釈放を求めることを内外に表明するものであります。
ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。/それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。/それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。/さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。(マルティン・ニーメラー作・丸山眞男訳)
2019年5月14日 日本基督教団第83回(合同後第53回)京都教区定期総会
記事6
タイトル 2019〜2020年度 京都教区
各部・委員会・特設委員会・小委員会
1 宣教部
(長)俣田浩一(西陣)(書)月下星志(上鳥羽) (会)鄭 富京(巡回) (監)菅 恒敏(京都) (副)深見祥弘(近江八幡) (副)?舛和祐(丹陽) (副)浅野献一(室町) 各特設委員長六名 入 治彦(京都) 横田明典(近江金田)
2 教師部
(長)須賀 工(石山) (書)信岡茂浩(城陽) (会)今井圭介(大津東) (監)横田法子(巡回) 内山友也(京都葵) 今井牧夫(京北) 入 順子(京都) 大川 祈(京都) ?舛和祐(丹陽) 平山正道(大津) 深見祥弘(近江八幡)
3 財務部
(長)松田 規(福知山) (書)原田 潔(大津東) 井上勇一(洛南) 富増献児(西小倉めぐみ) 柳井一朗(洛西) 常時陪席:教区三役
4 人事部
教区三役
5 教職謝儀委員会
(長)横田明典(近江金田)(書)奥野カネコ(膳所)今西儀夫(丹波新生)志賀 勉(紫野)造田弘司(水口)原田 潔(大津東) 松田 規(福知山)深見祥弘(近江八幡) ?舛和祐(丹陽)浅野献一(室町)
6 アジア宣教活動委員会
(長)月下星志(上鳥羽) (書)桝田翔希(平安)(会)李 相勁(福知山)浅居正信(教務教師)木村良己(教務教師)藤倉達郎(宇治) マーサ・メンセンディーク(信徒宣教師)
7 障がい者問題特設委員会
(長)永島鉄雄(草津)(書)山下維久子(向日町) (会)石田輝美(石山) 吉岡るみ子(宇治) 北川博司(近江八幡)
8 部落差別問題特設委員会
(長)片岡広明(丹波新生) (書)鳥井新平(近江平安) (会)廣野京子(近江平安)李 相勁(福知山) 井上勇一(洛南) 谷本一広(近江平安) 平山正道(大津) 深見祥弘(近江八幡) 宮田譽夫(草津) 宮田登貴子(草津) 横田明典(近江金田)
9 「教会と社会」特設委員会
(長)竹内 宙(堅田)(書)谷村徳幸(水口) (会)須賀 工(石山) 浅野献一(室町) 李 相勁(福知山) 大山修司(膳所) 鄭 富京(巡回) 川上 信(八日市) 柴田 信也(八幡ぶどうの木) 朴 実(洛南) 松岡由香子(教務)
10 性差別問題特設委員会
(長)西原ももこ(京都) (副)谷口ひとみ(八幡ぶどうの木) (書)中井正子(堅田) (会)志賀 勉(紫野)鄭 富京(巡回)岡嶋千宙(向島)
11 「合同」問題特設委員会
(長・会)月下星志(上鳥羽) 李 相勁(福知山) (書)桝田翔希(平安) 小柳伸顕(無任所)片岡希望(紫野)
12 不登校・ひきこもりの青少年や家族と共に歩む特設委員会
(長)早瀬和人(宇治) (書)横田明典(近江金田) (会)片岡広明(丹波新生) 玉置千恵子(京都葵)西村二朗(鴨東)横田法子(巡回)
(以下、常置委員会の小委員会)
1 セクシュアル・ハラスメント問題小委員会
(長)谷口ひとみ (書)中井正子 志賀 勉 須賀 工 鄭 富京 横田明典
2 教区センター運営小委員会
(長)井上勇一 (書)柳井一朗 入 治彦 奥野泰彦 月下星志 マーサ・メンセンディーク 兼松正典
菅 恒敏 三好照孝 教区三役
3 災害対策小委員会
(長)今井牧夫 (書)浅野献一 新井 純 柴田信也 ?舛和祐 深見祥弘 松田 規 横田明典
4 韓国基督教長老會大田老會との交流小委員会 (長)李
相勁 (書)大山修司 (会)永田真由美 井上勇一 今井牧夫 入 治彦 金 度亨 鄭 富京
5 教区史編纂小委員会
(招)望月修治 井上勇一 柳井一朗 教区三役
記事7 投稿 タイトル デナリオンコーヒーの由来について
デナリオン献金推進委員 紫野教会 志賀 勉
始まりは、24年前の阪神淡路大震災の見舞支援の訪問でした。わたしの妹が園長をしていた西灘のインターナショナルプリスクール(国際幼稚園)が震災で全壊し、幼稚園教諭(カナダ人の方)が死亡、地主は生き埋めになり、3日目に自衛隊により救出されました。幸いに、妹と園長は、奇跡的に寝ていたウォーターベッドの真上に壁の窓が倒れてきて、その窓から這い上がることができて助かったのです。その時期に神和教会と東灘教会の牧師を見舞い、支援のコーヒーメーカーとコーヒー豆を届けたのが始まりでした。その数年後、わたしの次男が貿易関係の仕事をしていたので、アメリカ製のコーヒーメーカーを支援のため献品してくれました。このときからデナリオンコーヒーが生まれたのです。
わたしの教会(紫野)では会員の発案で、「ナマステコーヒー」を始めようと壮年会で世話を始めることになり、牧師の協力もあって、コーヒーを楽しみながら、1杯100円で1回につき2〜3,000円の収入を得て、その費用を外部の被災地支援やデナリオン献金に充てることが今日まで継続でき感謝です。
このころから、志賀貿易の協力もあって、わたしが教職謝儀委員を勤めていた関係で、京都教区の働きの活動のために会場をしばしば提供してくださる教会へ重点的にコーヒーメーカーを献品して、デナリオン献金をお願いしたところ、みな快く協力してくださいました。その後デナリオンコーヒーは、平安教会、京都葵教会、京都教会、京都丸太町教会、室町教会、紫野教会、洛南教会他、滋賀・両丹地区の教会にも広がってゆき、おかげさまで、デナリオン献金はよく理解されるようになったと感謝しております。最近では、京都南部地区信徒部の協力によって、京都教区に関係のある全国の教会に支援を広げ、災害支援をできるようになりましたので、東北教区・常磐教会他、北海道の美唄教会、熊本などを支援したいと考えております。
・「デナリオンコーヒーがおいしいわけ」
コーヒーメーカーが優れていて、長持ち。阪神大震災から20年以上使用して今なお健在。コーヒー豆のブレンドが上手く、店長の勧めで、深煎りと浅煎りを半分ずつ、中間の細かさに挽いてもらい、熱いときには多少苦みが多く、冷めたときには酸味が出るので、コーヒーは冷めてもおいしくいただけます。
・「安くてうまいコーヒーの店の紹介」(編注:詳細は必ずお店に問い合わせてご確認を)
場所は、北区(京都北大路通)市バス大徳寺前バス停南側、「スーパーコーヒー本店」です。電話075-431-1226です。値段は1㎏1950円、市販の半額以下のよう。電話しておけば分量を整えて準備してくださいます。なお、水曜と木曜は特売日で200gサービスがあります。
・「コーヒーが健康に良い理由」
わたしは、コーヒーは健康上悪くはないだろうか、と心配しておりましたが、わたしと連れ合いと2人、1日5〜6杯毎日飲んでおりますが、ともに元気で(88歳と90歳)過ごしております。多少利尿作用があり、トイレによく行きますが、血圧も多少下げたり、繊維質も吸収するなど、体に良いようです。むかしコーヒーが日本に入ってきたときには、薬として扱われたとか。とにかく、心配しておりましたが、害は少なく、むしろ、健康には良いようです。
★教区ニュース編集者による補足
デナリオンコーヒーは、教区・地区の集会でコーヒーを1杯100円で出して収益を「デナリオン献金」とするものです。この献金は、京都教区において財政小規模で主任担任教師の謝儀自給が困難な、各教会・伝道所と連帯し、その教師謝儀の一部を支援する献金で、信徒運動の精神を大切にして推進しています。コーヒー以外にも、毎月に定額の献金を各人が献げて各教会ごとに集めたり、バザーやクリスマス献金など、様々な形で献げることができます。皆様に「デナリオン献金」へのご協力を切にお願いします!
(以上で、京都教区ニュース2019年7月29日号は終わり)